新幹線脱線に関する報道についてかんがえちゃう。

かんがえちゃう、ってことは考え込むって事です。

というのも、阪神淡路大震災を経験した身にしてみれば「脱線して当たり前!」って思えるからです。新幹線がいままで脱線しなかった、といっても管理のミスとかが少なく「通常」の強風や地震で大丈夫だった、って事ですよね。橋脚にひびが入るぐらいの地震、そのうえ200kmを超す速度で走っている新幹線が脱線だけで済んだのはすごいことだと思いませんかね。

あれが、TGVでもユーロスターでもひっくり返るよ。きっと。

NHKの報道をみてても「今後は新幹線も脱線するというリスクを考えて乗らなければならない」なんてもっともらしく言ってるけど、毎日あんた達が乗ってる山手線の方がよっぽど危険だっちゅーの。

それよりも、高速で走る新幹線が脱線して死者を出さなかったのはなぜか?っていう方向から解説して欲しいものです。新幹線は世界に誇るべき日本の技術のひとつですからね。

参照すべし:新幹線の脱線は安全神話の崩壊なのか?( Do you think for the future? さん)

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米国の占領がうまく行かないわけを考える

アメリカはイラクを「戦後日本」のようにうまく占領できると考えているみたいだけれども、それはたぶん無理だろうと思うわけです。その理由を漠然とだけではなくちょっと仮説めいて考えてみました。

まず、戦後アメリカの日本占領がうまくいった理由は、アメリカが賢かったからでも日本人がバカだったせいでも無いと思っています。それが成功したのは、日本人の持っている中華的メンタリティが大きな要因ではないかと思っています。

 中国(当時は清)が力を失っていく段階でアジアにあった中華圏の国々はどんどん欧米の植民地化を受け入れてしまう。東南アジアに置いては「異人の王様国家」という歴史的な流れの中で、支配者の頭をすげ替えるだけでそれは可能だった。日本と朝鮮、ベトナムはもっと中華の核に近い部分にあったので、おそらく指向としては「清が力を失ったのなら自らが中華の中心になろう」という方向性があったとおもうのです。でもそれは具体的にそういう言葉では考えてはいないでしょうけれども。

 大東亜共栄圏なんて考え方は実に「中華思想的」な発想と思えるのです。自ら中原の華にならんとした日本帝国。しかし、日本は武力でアメリカに負けてしまう。

だから、今度は日本にとっての中華の核がアメリカに行っちゃったわけです。文化も経済も中華では「もっとも文化レベルが高く軍事力の強い国」を中心に自らを支えようとします。中華思想が東アジア圏にとどまらず世界規模に拡大した瞬間です。日本にとっての「中華」はアメリカになってしまったのです。そのメンタリティをラッキーにも利用できたからアメリカは日本で成功できた。

 でも、イラクは違いますよ。中華的なメンタリティなど持ってはいない。

だから、日本モデルを持ち込んでもかならず失敗します。そう歴史から読んでみました。
こんな仮説を考えてみましたがいかがでしょうかね・・・。

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自滅願望

 いちおう、昔は史学科なんぞに通い、とりあえずアメリカ先住民の歴史をざっと流してみたりした時期もあった。そういう思考回路は、ま、今もまだちょこっとだけ繋がっているのかもしれない。人間、わゆる思春期という時期に人生に悩んじゃったりする。自分の生き方とか存在意義とか、必要以上に考え込んじゃったり、逆に勢いだけで突っ走ってみたり。

人間って、そーゆー生き物よねってことを踏まえて考えてみる。

当たり前のことなんだけども、国も人間の集まり。ってことは、生々しくもエグイ史実=人間関係が山ほどあるってことだわなぁ。古今東西、色んなタイプ、色んな環境の人間がいるように、色んな国があるわけで。当然、永続している国家・王朝なんてあるわけ無い。人に寿命があるように、国にも寿命がある。もしかして、アメリカはそういう時期に来ているんじゃないだろうか?ってことを思ったのだった。

いや、単純に田中宇さんのメルマガに「アメリカは自滅したいのか?」ってフレーズがあったから、ついそんなこと考えちゃったってだけなんだわ。マジ深い意味はない。

if・・・考えてみる。もし、アメリカが自滅したいのなら最大の謎はコレになる。つまり「なんで自滅したいの?」だね。でも、それが無自覚だったらどーする?人間が(思春期じゃなくても)破滅思考に走る時期があるように、国にもそういう時期があるのかな。つーか、国の末期には大抵、国を傾けるにふさわしい人材が登場してくるもんなのよね。それがブッシュ・バカ息子だったら、いや〜、実に納得しちゃうじゃん。いかなる理路整然とした論理も議論もなんもかんもうっちゃって、なんだか納得してしまいそうな自分がコワイ。

・・・アメリカも、そろそろ寿命かなってね。

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公園の遊具に思うこと

近頃、ジャングルジムも見かけなくなったと思っていたら、高槻の回転遊具の指切断事件。まあ、こういうセンセーショナルな事件の後は同種の事件を求めてマスコミが動くので公園での事故が増えたように思えるけど、そんなもん、全然増えても減ってもいないように思います。

自分が子供だった頃は校庭に巨大遊具を作るのが流行ってたみたいで、近くの学校にも次々に恐竜のような遊具が 作られていたように思うんです。そのころから、遊具でケガなんて日常茶飯事でしたよ。私もケガをしたことだってあります。でも、撤去しろなんて声は聞いたことがなかったですね。

遊具どころか、柵のしていないため池なんてごまんとあったし、用水路にフタなんて無かった。

結局、親が精神的に弱くなっただけなんじゃないかな。そして、身の回りの大小の危険を取り去ったがために、今の子供はとんでもない事故にあったり事件にあったりする。ちゃんと訓練していれば雪山で遭難したワンゲル部員のように遊びに行った場所で不意に襲われた危険に対してもきちんと対処できるようになるんじゃないでしょうか?

回転遊具の穴だって(あってはいけない穴ですけど)「危なそうな穴」という認識があれば子供でも指は入れないと思いますよ。でも、見たこともない穴だったらたぶん指を入れるでしょうね。つまりは「危機管理」しすぎて「危機対応力」を全く育ててないってことでしょう。子供の危険に関する想像力を大人が管理の名の下に刈り取ってるとしか思えないんですよね。

で、公園の遊具なんですが。お母さん達が公園に子供を連れて行って遊ばしている姿はいつ見ても「動物園のサル山の遊具で遊ぶサル」に見えるんですよね(笑)。檻の中で退屈だろうからとあてがわれたタイヤや登り棒。

子供はもっと野に離すべきです。親も一緒に野にでるべきです。

「近所の奥様方とのダベリング(死語)のついでに、遊具で子供を遊ばせる」のは、「サル山でサルを育てるのに等しい!」と批判と誤解を恐れずに書き放っておきます。

でも、遊具で遊ぶぐらい元気な子も減ってきているんじゃないかと心配もしてたりしますが・・・。

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スカートの中身

覗きとか盗撮とかって、こーゆーたぐいのニュース聞く度に思う。(覗きやすいミニスカはくのは、やっぱ若い女性でしょう)日本の男って、基本はロリコン・・・。

けど、一方でハーレクイン社の行った世界各国でのアンケートで、こーゆー結果もでているんだって。曰く『女性より誘惑下手な日本人男性。でも、年上女性なら攻略できる』んだそうです。

つまり、日本人女性は年下に弱いといえるし、日本の男性は比較的年上好みなんだってことらしいです。ってことは、年下女性の方が手強い相手ってこと?・・・・よくわかんない。若い方が世間知らずでお手軽そうにみえるけど・・・。
 
たとえば、コギャルは自分を記号化してその中に埋没しているから、その記号に反応しているだけの連中をバカにする。これは、よくわかる心理だったりするわにゃ。あ、もしかしてそれがコワイとか?所詮世の中は男社会。社会の成員じゃなければ個人としてなんて見るコトしないし。女の子が私は私と叫んでみたところで、そんな叫びは黙殺どころか存在さえ認めてもらないのが基本。だから、記号化するの。

名のある大学の先生になったエリートさんが、そーゆーもんのスカートの中身覗いて楽しいわけ?そんなことしなくても、金も地位も名誉もあるんだから、バレないように買っちゃったもんねってこと、できると思うんだけどなぁ。なんて考えてるとね、そーゆー人のメンタリティは、テレビで経済語れても、人間を個人として見ること出来ないのね。所詮、性の対象物としかみてないんだなぁってこと。分別のある大人って、そんなもん?

あのね、パンツ覗きたいだけなら四十過ぎの奥様方のスカート、覗く根性見せてほしい。でなきゃ、自分の嫁さんと娘のパンツでも見ててね。

それなら手鏡無くても見れるでしょ。

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興味を持つという意志を持て

いくつかの新聞などでも取り上げられている天動説問題?ですが、なんでも

「調査は2月、長野市と北海道上富良野町の公立小学校の4、5年生計116人を対象に行った。「地球は太陽のまわりを回っている」「太陽は地球のまわりを回っている」という2つの文章から正しいものを選ばせたところ、41%が“天動説”を選んだ。」(読売新聞)

とのこと。

調査のサンプルが少なすぎるので全体的な傾向値とはいえないのでしょうけど「そういえば最近は・・・」と思い至ることがありますですね。たとえば私の身近で「地球儀でスイスやデンマークの位置がすぐに探せなかった人」を知ってます。

小学生に自分の知っている場所の地図を書かせると、彼らの全世界がわかります。家と学校と友達の家を点と線で結んだような狭い範囲の地図。これが大人になるに従って広がっていくのが通常だと思うのですが・・・ずーっと一生小学生と変わらない地図しか書けない人もいるようです。

自分が知っている世界しか興味がないから、別の世界には意識がいかない。でもこれは教育のせいなんかじゃないと思うんですよ。じゃあ、なにが原因か?というと・・・やはり「意思」なんじゃないかな。自分の知らない世界の事を知ってみたいという興味と、それを知るための行為を行う意思。それがあれば誰でも知ることができる事柄が多いと思うんですよ。

食べる事と享楽だけに満足することで満たされ、未知の世界への関心を失っている。

子供に教えるべき事は、月の満ち欠けの原因でも、太陽の沈む方角でも、地動説でもないですよ。教えるべきは「興味を持つという意思を育てること。小さな疑問にも気付くこと」そうすれば、今回浮き彫りになった現象も子供らしい〜と笑えるように思います。

考える力ってそういうもんだとおもいませんか?

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飽食の時代

 自分の食生活を振り返ってみると、豊かなのか貧しいのかよく分からなくなる時がある。

だって、日本中どこいってもスーパー・コンビニetc・・・。食べ物は山とある。そして、商品として売れ残らなかったらリサイクルできるものはリサイクルされ、廃棄されてゴミなったりするわけで。いつでもどこでもなんでも食べ放題はお財布次第ってところはあるにしろ、中央集権システム(一旗揚げるために東京目指すのは、やっぱ中央集権だよな)の中に暮らしていると、地方の食生活の豊かさと都市生活者の豊かさに、違和感感じるのよね。だって、都市で食べる地方のものって、都市風にアレンジされたものってけっこうあるんだもの。・・・純粋に都市向けのものは別にして。

例えば、今時流行の讃岐うどん。本場讃岐で、特に美味いと評判ではないけど、職場や家の近所にある店で、ふつーにうどん食べてただけで、舌が贅沢になっちゃったの。しかも、リーズナブルだからさ、高い讃岐うどんなんて食べる気しなくなるの。だって、すごくムナシくなる。ま、今じゃはなまるうどんのおかげで、そーでもなくなったかな?

変わって、吉野家の牛丼とかって、けっこう都市型食いモンなんじゃないかと思う。

だって、わし、これ食べられない。田舎育ちのワニたには、純粋に味だけでいうと食べられない。豚キムチ丼の方が美味いと思った。わし、吉牛(類似点含む)お金がないから通ったとか、他に開いてる店がなかったからとかで通った、そういう思い入れはま〜〜〜ったくないから、イメージで食べることもできないんだもん。あの値段だから食える。それができない。

んなこと考えていると、どっちもリーズナブルに生活に密着しているんだけども、その味とか、イメージとか、なんとなく正反対なのかな〜〜って、思っただけ。
そーゆー都市でも地方でも飽食の時代だからなのかなぁ。醤油ぶっかけソフトクリームってやつの登場は。香川の醤油豆アイスクリームと同じくらい、しゅーるだ・・・。

やっぱ、日本人の味覚って、どこか崩壊してるんじゃないか?そんな気がしたよ。

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岡山県のキャッチフレーズ

ブログ人力地図のトラックバック企画に参加(^_^)

岡山のキャッチフレーズと言うことなので考えてみます。・・・がなかなか思いつきませんね。なんて中途半端な県なんだろう。人口も産業も交通も文化財もすべてそこそこ。ラーメンもうどんもそばもそこそこうまい。カツ丼もオリジナルなデミカツ丼がある。企業も目立った大企業はないが特許や独自技術で高シェアを誇る企業がある。

やっぱ「ぼっけぇ おえんで おかやま」 で、どうでしょう。

きっとネイティブ岡山な人には怒られるんだろうな~!先にあやまっとこ「ごめんなさい!」  でも・・・

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お客さんは聴いてくれる人でしょ?

「音楽の売上減少に、ファイル交換の影響はなし」--米調査CNET Japan

CCCDの登場のいいわけになっているファイル交換。音楽パッケージメディアの売れ行き減少への悪影響をレーベル側は主張しているようです。まあ、一部にはそういうこともあるかも知れませんが、そもそもアーティストに代価を払う気持ちのない人は、ファイル交換やリッピングができなかったとしても、CDは買わないと思うんですよね。

たりぽんは、トリオのFMチューナーとAKAIのオープンリールとかでばりばりエアチェックしてた口です。ウオークマンで聴くためにカセットにダビングしたりバンバンしてましたよ。でも、レコードもしっかり買っていました。やっぱり好きな音楽はいい音で聴きたいという基本的欲求があって、その欲求は音楽を好きな人には普遍的なものだと思うんですよね。持っていたいと思う気持ちも強かったしね。

だから、音の悪い圧縮音源シリコンプレーヤーやパソコンで音楽を聴くなんてことがイヤになるぐらい、いい音で聴きたくなる音楽だけをガツーンと売り出せばいい。ミリオンヒットなんていらないよ。というのも、次のように思うからです。

ミリオンヒットをねらって大々的にプロモーションした音楽があったとしましょう。みんなが耳にしてある程度のヒットになります。そのアーティストや歌にたいして興味もないのだけど「みんなが聴いてるから、とりあえずレンタルしてリッピングしてカラオケで歌えるようにしとこっ」て感じの人が増えるんじゃないかな。だからリッピングやファイル共有が悪に見える。でも、原因は沢山売ろうとする根性だよ。

よく考えて欲しい。音楽アーティストにとって一番大切なお客さんは「聴いてくれる人」であって「買ってくれる人」では無いはず。「聴いてくれる人」がいつでもどこでも聴いていたいから「買ってくれる」わけでしょ。先に買うんじゃないよねぇ。

音楽を聴くという文化そのものが衰退しないようにがんばるのがレコード会社の使命でしょう。やることやらないで権利だけ主張するならばかならず流通の中抜きが起こりますよ。使命を果たさないレコード会社は不要な中間搾取業者に過ぎません。アーティストがネットで自前販売始めればすべて問題は解決ですよ〜。中間搾取といわれないためにも音楽文化をもっと盛り上げて欲しい。

ブランドはレコード会社ではなくアーティスト自身なんだから、アーティストにももっと主張して欲しいな。

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瀬戸大橋の活性化について考えてみたりする

香川、そして岡山。双方に住んだことのある身としていろいろ考えることがあったりします。

四国には多くの観光資源がありながら、中途半端に近いのに交通費が高いという障壁があるためになかなか観光客を増やすことができていないように思います。おいしいものもたくさんあるのに、日本中の食いしん坊一族は損しているとしか言い様がない。

しかし、橋の負債問題に関しての議論を見ると、橋だけに固執した話題に終止しており失笑ものの施策がいろいろでて笑わせてくれる。(瀬戸大橋を渡った人は岡山市内にある駐車場料金(場所指定あり)の割引サービスとか・・・あのね〜って感じです。)最近ようやく橋の値下げとか必死で考えているようですが、おそーい!しかも工夫がない!

そこで、たりぽん的視野でいろいろ考えてみました。

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歴史は教科書と逆に教えるべき

もう題名の通りなのでありますが、そう思うのです。歴史を学ぶことの重要性は「今」に役立つ知恵であることです。日本史にしろ世界史にしろ現在と密接につながる「ちょっと前」の出来事こそ詳しく学ぶべきだと思います。

 もう一つ、歴史は「進化論」的な発想から学ぶべきではないと思うのです。以前にも書きましたがエピソードの記録という側面とそれらの現在に対する「歴史的な意味」はきちんと分けて教える必要があると思うのです。歴史は進化発展するものではないし、現在に対しての相対的な意味しか持たないのですからやはり現代から遡上して過去に向かっていくのがいいのではないかと。

 個人の思い出だって、近いところから思い出していくように思うんですけどね。それは近い思い出ほど現在に重要で濃いから。遠い昔の事なんて懐かしいだけの事が多いですよね。もちろん、歴史的トラウマの原因は知っておかねばなりませんが。

 たなぼた:ひっそりと生きようねには微笑んでしまいました。何も起きなければ21世紀の日本は「平和な時代」として記録されるでしょうね(^_^)

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死後の世界に生きていくこと

希望、存在、死
 onoさんの記事と一児の母さんのコメントを読んで

死後の世界について考えることは宗教的なことではなく、生きていることを考えていくとかならず突き当たる問題です。生命を数直線としてとらえて見ると生と死の境など無いのではないかと思えたりします。それでもなお疑問として残る「死後の世界」についての思いとは何なのでしょうか?

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ウォルマートと西友と鯨

ウォルマートは来年1月にも西友に対して出資比率を50.1%に引き上げる権利を得るそうです。そのためには西友事業が成功を収めていることを本国の株主に印象づける必要があるらしいですね。まあ、そのあたりは経済の常識と言うことなのですが・・・。どうも、アメリカの自然保護団体あたりが西友での「鯨肉」の販売を中止するように圧力をかけているみたい。その中には株主も含まれているのでしょうね。

 だいたい、アメリカ人の鯨偏愛に関しては申し訳ないけど、失笑してしまうんですよ。だいたい、ミンク鯨を大量に(しかも無駄に)殺しまくって数を減らしたのはどこの国の責任なんでしょうね。(まあこれは自国の森林を伐採せずに熱帯雨林の木材に頼りつつジャングルを守れ!という国の理論とあまり変わりませんが・・・。)捕鯨に反対する理由は「鯨は賢くてかわいいから」なんだろうな>アメリカ人。

 かの国の人は、教義に基づき「生命ピラミッド」の頂点に人間や鯨などの知的生命があると信じているようですね。そして、石の棺桶に入れたり火葬にしたりして「食物連鎖」から外れようとするのでしょう。生命は決してピラミッドなどではなく、鎖のようにひとつにつながった輪っかなんだと思います。鯨を食うことと、家畜を「生産」することと、どちらが生命を弄んでいることになるんでしょうか。

(ちなみに先日の高知旅行で食べた近海鯨の寿司、最高にうまかったです。くさみもなく。)

 ウォルマートは株主や自然保護団体の圧力に屈して、おそらく西友での鯨肉の販売を中止するでしょう。西友が鯨を売らなくなった瞬間から日本の企業ではなくなるような気がします。

 ここで予言をしておきます。ウォルマート式のマーケティングは日本では(一部地方でしか)成功しないでしょう。アメリカよりも多くのレイヤーを持つ日本の客層、多彩な食文化・・・などなど、得意のエブリデイロープライスでは戦えない、と確たる根拠無く無責任に断言しておきます。なんせちょっとぐらい高くても飲みたいときに自動販売機でコーヒーを買う国民なんです。しかし、西友で鯨を売る勇気をウォルマートが持てるなら、日本の小売業は真剣にウォルマートを恐れなければなりません。

 それぐらい注目な鯨肉問題。みなさんは、どうお考えでしょうか?

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無限とゼロという関係

ある人に言われた事があります。

「みんな好き、って事は''誰も好きでない"のと同じだよね。」

その時は「?」が頭の中を飛び交ったのです。そして今になってわかってくることもあります。何が食べたいかと聞かれ「なんでもいい」と答えてしまう事なんかがあって「はっ」としました。それっておなかがすいてるだけで、何かを食べたいという意思じゃないよねって。

 みんな好きっていうのは相手を個人としてしっかり見ていないような気がします。誰でも好きということは誰でもいいと言うこと。個人がどうかなんてことが希薄になっていきます。「あなたが好き」という言葉の寄せ集めは「みんな好き」にはならない。なぜなら「まだ見知らぬ人を好きになどなれないから」。

ゼロという数字は数えてもゼロはゼロ。無限は数えることができないほど巨大な数列。どちらも具体的に数えることができないなら、同じ意味に見えます。

私は無限大の「好き」は持てないから一個ずつの「好き」をしっかり重ねていきたい。誰とでも仲良くなれる人ではなく、たくさんの人と仲良くなれる人になりたいです。

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成果主義は企業を救うのか?

このところ企業の成果主義導入が相次いでいますね。

私の職場も例外ではありません。成果を上げたものはたくさんもらえるってのは、当たり前といえばあたりまえ。自営業の方はそれ以外にはないわけですからね。

確かに成果を上げられる部署に配置された人と、社命で新規事業の立ち上げを任された人で同じ成果基準を導入する事はできないはず。ダブルスタンダードな給料体系は混乱を招くだけ。このあたりルールを複雑化してしまうしかないわけで、より不透明感が増すように思います。

 さらに、自分としての自己目標を会社と握って成果を計るやり方も考えられますが・・・それって目標を低くすれば誰でも達成するから意味無いッすよね。

 成果主義を導入するには高度な企業統治で不正が横行しない環境、そしてアグレッシブで先進的なものを求める社風、などなどごく限られた条件でのみ有効な手段であって何でもかんでも成果主義を取り入れてしまうのはかえってモラルを低下させ離職率が高まり・・・結局高い給料を払える企業に優秀な人材が集まる傾向がもっと顕著になるかも知れませんね。

成果主義の落とし穴:おまつのボヤッ記

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消費税総額表示のねらい

消費税総額表示

まあ要するに税込み価格での表示に統一することを法令化するということですね。新聞などの記事を読むと消費税率アップのためのステルス化という事だけがクローズアップされています。

私が考えるにこれは「消費税複数税率導入のための布石」という一面を欠かせないのではないかと思うのですが、ほとんどの新聞は触れもしていませんね。時期を予想すると・・・小泉政権の間は消費税アップなしという公約を信じれば2006年まではない。そして消費税総額表示は2007年度までに、ということなのでズバリXdayは2007年度じゃないかな。消費税が一律10%ということではなく贅沢品では30%、食料品では3%というようなこともあり得ますね。そのための総額表示なら必要な措置かも知れません。

関連ココログ記事 ミニ不況がやって来るby 高知と言えば、よさこい祭り

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ゴミ問題について考えてみたりして

先日、大手家電量販店が家電リサイクル法違反で捜査をうけましたね。実際、あの法律ができたときに予想できた事態なわけですよ。事態が起こってからでないと動かないと言うことは、問題があるなぁと思いますね。

仕事の関係であちこちくるまで走り回るわけですが、よく見かける看板に「不法投棄するな」という趣旨のものと「ゴミ処理場建設反対」というものです。この二つの主張は根っこの部分で同じ問題が潜んでいますね。環境問題とかそういうことではなく、自分で出したゴミに責任を持たないという気配の問題。

ゴミなんてものは発生源を押さえないとどうにもならない問題なことは、個人レベルでは誰でもそう思うわけですよ。でも出してしまったゴミはそのまま回収に出してしまう。ゴミ処理場の問題も「ゴミが集積される」ところに問題の大本があると思うんですよね。

電力でもそうだけど、もっと分散処理を進めるべきでしょうね。ゴミは出したところの傍で処理すること。住宅地の脇で処理すればいいんです。ゴミを燃やせば有害物質が出るじゃないかって言う人が多いけどそれだったら「燃やしても有害物質のでないもの」だけを買えばいい。自分の傍で処理されていないから無関心になるんですよね。

買い物をするときに「これがゴミになったらどうなるか?」という想像力を働かせながら買うだけでもゴミが減るんじゃないかとおもうわけです。

で、最初に戻るんですが廃家電をほしがる国があるのであればそこに持って行くのだってリサイクルかなとは思います(持って行く相手はともかくとして)。それはリユースか。

ああ、なんかとりとめなくなってきたので、そのうち続くってことで・・・

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ブログってニューロンみたい

ふっと、思ったことですが。

ブログってニューロンみたいですね。

活発なブログはたくさんの他のブログとリンクが発生します(トラックバックであったりアンカーやランキングであったり・・・)外界から強い刺激(たとえば牛丼!とか)があると一斉に発火してさらに強い結びつきを作ったりします。今までの掲示板やウエブページはただのアーカイブに過ぎない。「記憶の蓄積」から「記憶の結びつきの、その先」をブログは想起させます。

使われないブログは他の神経から切り離されて消滅していきます。

ブログの提供サービスをプロバイダーが中止して、一気にブログが閉鎖したら・・・まるで記憶喪失やアルツハイマーのよう。

ブログには脳の認識野のように刺激に反応する分野がだいたい決まっているんだけど、非常に曖昧。
ブログについて考えるって行為は「自分とは何なのか?」と考える脳のよう。まじめに悩んだり、恋したり、エッチになったり、笑ったり、起こったり、歌ったり、見たり、聞いたり・・・ブログ全体を俯瞰して発火状態を認識できたら、巨大なひとつの「認識」をもつ存在のように見えるかも知れません。

ネットワーク地球が意識を持っていくような、そんな妄想です。


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大滝ダムに思う

都会、特に関東地方の人にはあまり興味がない話題だろうけれども、最近、奈良県の大滝ダムが気になります。その昔、もう10年以上前に吉野川中流域を日々営業で駆け回っていたからです。

吉野川流域は日本の古代史においても重要な地域で、現在でもあちこちにその面影を見いだせます。上市から峠を越せば直接石舞台の裏に出てくる街道があったり、営業ならではのフットワークでいろいろと見て回ったものです。大滝ダムの建設地の少し下流には大滝茶屋という柿の葉寿司の店があって、私はここの柿の葉寿司が一番好きです。

 ダムの工事はそのまま道の付け替え工事でもあります。新宮に抜ける国道はドライブのルートとしてはすごく景色がいい好きな道でしたが大滝ダムの工事区間(長い!)は「おいおいこの渓流が無くなるんかいな?」という感じで非常につらい道でもありました。途中には歴史のある神社、丹生川上神社があって、移転を余儀なくされました。あの立地自体が重要なのであって移転地を用意してもその神聖さが失われてしまうことはさけられません。信仰とはそういうものだと思うんですよね。

 深い谷の急斜面に張り付くように家が建っている山村地域。もともと地滑りがあるようなところでダムに水を貯めたら素人目に考えても大変なことになるだろうなと当時から思っていましたが、やはり大変な事になっていますね。やれやれです。壊される自然や生活について真剣に考えた結果とは思えないところが腹立たしいですね。

 この川をさかのぼっていくと入之波温泉という秘湯があります。含炭酸重曹泉という珍しい泉質です。近郊の方はダムの状況などを視察がてら、温泉にも足を運んではいかがでしょうかね。

 百聞は一見にしかず。こんな大規模なダム工事をまだ続けているという現場を賛成反対いろいろ思いながら、それでも現実を直視してからでないと、何もはじまらないですよね。

またまたおちなしでした・・・

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音楽を聞くこと

最近、またアナログレコードを聴き出しました。安物でオートリフトアップもついていないようなプレーヤーなんですが音楽を聴くという集中力(半ば強制的な儀式が必要ということか)はデジタルには無い特徴かななんて思っています。
オーディオテクニカのAT130G(だったかな)カートリッジを探してみたけど実家に送ってしまって手元にないみたいです。

レコードって、なんであたたかい音がするんだろう?ってちょっと考えてみたり。

アナログとデジタルじゃセパレーションもSNもダイナミックレンジも違うけど「刻んであるもの」と「記録したもの」とのちがいがあるかもしれないなって思ったんです。アナログレコードって、古代の文字のようにメディアに刻まれていて、その刻むという感覚があたたかいのかも知れない。だから石版をドンと渡されたような重みがあるのかな。
反面、CDって記録そのものでいい音なんだけど印刷された雑誌みたいで重みが無いんですよね。どうせ重みがないんならパッケージから解放されてしまった方がいいかも知れませんね。

でも、流行の曲をダウンロードやリッピングして聴くのもどうかなって思う今日この頃。大阪に住んでいる頃は802でがんがん音楽流れてたからラジオがあればよかった。最近はもっぱらスカパーの音楽番組かな。地上波の番組がつまらないときはすぐスカパー。

でも、アナログ盤の良さを再認識しました。どのメディアがいいかじゃなくって、それぞれの聴き方を選べるすばらしい時代が来たって感じかな。CD化されていない(もしくはCDでは廃盤になってしまった)アルバムを探してまた中古レコードショップ巡りでもするかな~。

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高句麗の遺跡・世界遺産に登録

高句麗の歴史は誰のもの?の続きです。

中国と北朝鮮間でもめている「高句麗歴史帰属問題」に関連して以下のような記事が・・・

「北朝鮮と中国に分散する高句麗(紀元前1世紀後半−紀元668年)の遺跡群について、北朝鮮が自国側の古墳群を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録する手続きを進めていたが、中国が単独登録に反対。結局、今年6月に中国・蘇州で開かれる世界遺産委員会で両国の世界遺産として同時に登録される見通しとなったことが6日、分かった。」→記事

ふーん。世界遺産といえども政治問題に配慮するんだねぇ。せっかく「人類共通の遺産」として登録するというふれこみなんだから「国」とは関係なく、歴史の遺産として登録する仕組みにしてほしかった。たとえば、遺産の場所を登録するときは「○○国のどこそこ」という情報よりも「緯度経度・標高」といった「絶対番地」での登録のみにするとかね。

世界遺産もだんだんきな臭い事の駆け引きに使われ出して興ざめだね・・・

ここもチェック→「高句麗は中国史の一部」について:「僕が本当に若かった頃」

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アニメの実写化って??TB

■アニメの実写化って??トラバ募集します

って事なので思うところを。あらためて考えるに、昔からよく似た問題提起が続いているように思うんですよ。小説の実写化・アニメ化、コミックのアニメ化・実写化・小説化、実写のアニメ化、ゲームの実写化・アニメ化などなど。それぞれによく似た議論構造がありますですね。

 大きな意味で「原作付き」と考えれば「アニメの実写化はあり」だと思います。名作と言われるもののリメークは制作者側にもリスクが多いと思うのでやる以上は原作を超えるクリエイティブなものを作って欲しいと思いますね。キャシャーンの予告編なんかはなかなか「好き」な感じですが。

 映像文化の発展のために「原作原理主義」に陥ることなく様々なチャレンジがなされることを期待しています。リメークが「くそリメーク」だったら、その時に「原作はやっぱりよかった」と思い出に浸るという楽しみ方もいいと思うんですよね。

<追記>2004.02.01am8:45
 キャシャーンに関しては「超破壊光線」がどのように実写化されるのか?というところで期待しちゃったりしています。派手にぶちかまして欲しいですよね!わはは


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歴史原理主義者だね

みそがいの防戦一方 『新選組!』と史実を読んで、コメントしようかと思ったけど話が広がりそうだったのでトラックバックします。

 「史実」いわいる「歴史上の事実・真実」って事だと思うんですが、「歴史」の大きな前提に「文字で書かれたもの」ってのがあります。歴史とは文字で記されるものなのです。だから、文字なかった(現在の認識では文字と見なしていない別の方法で記しているかも知れないけれど)文明の歴史は「史実」としては語られることはないのです。

 つまり、文字で書かれていること以外の事は別分野の社会科学(考古学や地理学など)の成果からの推測に過ぎません。つまり「真実だけを伝えている歴史はない」ということなのです。ドラマであるとはいえ『新選組!』は歴史の一解釈であっていいはずです。もっとも、求めているものがエンタテイメントであるのだから「歴史学」という学問からはちょっとはずれますけどね。(時々、考古学は歴史学だと思っている人に会いますが、近しいけれども違う学問ですよって言うと、なんだか怒られますがなんで?)

 で、先の記事にあった「失望した」という人は何に失望したんでしょうね。私はそれを考えると恐ろしくなります。大げさに言えば「北朝鮮で教えている世界史と、日本で教えている世界史が違うから日本に失望した」というのと同じ文脈に思えるんです。まあ「失望しちゃいけない」とは言わないですけどね。

 歴史というのは真実を伝えるものではありません。文字に記された歴史が真実だと信じ込むことの恐ろしさを我々はイヤと言うほど、その例を知っているはずなのに。本当の歴史というものはありますが、それが真実とは限らない。歴史とは一種のパラダイムでもあるんです(大化の改新を蘇我氏側から見た歴史で記した教科書がないのはパラダイムとしか言いようがないでしょう)

 歴史が好きで、ある人物が好きで、そのことは誰よりも詳しいという人がたくさんいます。だけど、歴史原理主義には陥らないでほしいのです。あらゆる解釈を受け入れる柔軟性を持って欲しい。そう思うのです。
 
んで最終的に何が言いたいか。『新選組!』の解釈はワタクシ的には「あり!」です。いけませんかね?


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考察:秩父夜祭りはなぜ夜祭りか?

秩父夜祭りはお祭り自体が有名なので、いろいろなところで紹介されてます。しかし私の、クダラナイ疑問はとどまるところがなかったりします。

そもそも、なんで夜祭りなの?単純にそう思ったわけです。昼間は歌舞伎やったり、道具市で買い物したりですごく祭りっぽいのに!なんて屁理屈をこねていろいろ考えてみました。

よい子の答え:妙見伝説にちなんでいるから。

 確かにそうだろう。じゃあ何でお寒い12月にやんねん!七夕にでもやればええやん。って思うんですよね。12月には新年に向かっての「市」が立ちそのにぎわいに乗じて祭りにするというプロデュースはなかなかいいと思いますが。宿題:「妙見伝説と秩父夜祭りについて研究せよ」

普通の子の答え:夜にやった方が綺麗じゃん。花火も上がるし。

 そうだね。あの花火はすごいよ。羊山の上から打つからまるで真上ではじけているような迫力がある。あれは海上花火と違ってとってもデンジャラスだ。麓の家は祭りの時は避難するらしい(未確認・情報求む)でも秩父地方の花火といえば吉田の「龍勢」でしょ。あれはすごい。なんで日本帝国軍は龍勢のアイディアからミサイルを思いつかなかったんだろう。でもあれは昼間の花火だから夜とは関係ないよね?不夜城と呼ばれる屋台は確かに夜が綺麗。でも昼間も綺麗だよ。笠鉾も昼間の方が映えないか?うーん。
宿題:吉田の龍勢について調べよ

悪い子の答え:祭りのあとで何かと都合がいいから。

 ははぁ。そうか。祭りは恋のはじまりだからね。これは賛成だね。

宿題:祭りと恋のはじまりについての類型を探せ!

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歴史の自己相似性に関する妄想

時間のフラクタルもありえる。って面白いなって思いました。「一部分が全体を表している」っていうことが歴史にも当てはまるかなと。

いま教科書などで教わっている歴史の大半は「国の歴史」そしてすんでいる地域の歴史。どちらにしても「クニ」の歴史といってもいいのかな。世界>国家>クニ(州とか県とか)>ムラ>イエ>個人というような構造が自己相似性を持ってはいないか?って妄想してみたわけです。ん?市民が銃を持って治安の悪い国が戦争を起こしている?そこの国民は凶暴かって?そんなことはマイケルムーアに聞いてくれ(笑)まあ大筋、市民が銃を持ってる国が戦争してるのに間違いはないだろう。(ただ気をつけなければならないのは銃(武器)が無くたって人間は殺せるってこと。・・・これは脱線。また別の機会にでも)

 中国を中心とする「中華文化圏」を例にとれば、中心部の文化が伝播して周辺に行くほど薄いって考えがちだけど、実は遠方に行くに従って文化は「要素化」されよりピュアな形で残されているように思ったりする。これって実は中華圏全体でフラクタルな構造になってるのかな。日本の寿命って事なんかを考えてみると、日本が世界の一部であると同時に、全体を表す一部であることに想いを巡らすのも必要かな。

 自分自身が世界の似姿であることをほんの少しでも考えれば、いい世界にしよう=いい人間でいようと思うんじゃないかな。世界が自分とはかけ離れた場所にあると思いがちだからこそ、大きな木の姿を見つめて自分がひとつの葉っぱであることに、もう少し自信を持っていいと思うんです。

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ネットとクオリア

なんだか、わからんようなタイトルですな。

最近ずっと読み続けている「脳とクオリア」って本があります。ずっと読み続けているというのは何回も読んでいるのではなくてなかなか読み進まないから。なかなかムツカシイ本なわけです。寝る前に読むととってもよく眠れます (^_^;)

 まだ全部読んでいないし、間違って理解しているかもしれないんだけども、「1200ぼー」の頃から続けているネット生活と重なっていろんな事考えちゃいました。

 たとえば、神経の伝達速度って思ってたよりずっと遅い最大毎秒約100メートル程度なんだと。でも手の先でキーボードを叩いている「瞬間」を脳でも「同時」に感じているんだろって。手の先で発火したニューロンの信号が脳に伝わる物理時間は、感覚の中ではゼロにひとしい。同時なんだね。

 振り返って、たりぽんのパソコンからの回線もアナログモデムからISDN、そしてADSLにかわってどんどん早くなったけど、それでメールが早く届いたり、思いが強く届いたりするわけではないよねって思ったりしたね。メールも送り手が送った瞬間と、受け手が開いた瞬間の「間の時間」はもしかするとクオリア的には「ゼロ」なんじゃないかな。「時間情報」を埋め込んではじめて「時間軸」を認識するわけだ。

 こんな実験できないだろうか?「送った時間も届いた時間もわからないメール交換」をしてみるってのは。そうすれば送り手と受け手の時間をゼロにできないだろうか?なんてね。いつの間にか想いが届いてるシステム。携帯の着信をサイレントにして受信日時もでないでSUBのあいうえお順で並んでればそれに近いことになるかもね。

 もう一つ興味深かったのは「脳は一部分だけで感じているのではない」ということ。ニューロンネットワーク全体の発火パターンこそが「認識」そのものなんだ、と。コンピューターネットワークもそうなっていくのかもしれない。ネットワーク全体の発火パターンを同時に認識できる「クオリア」が人工的に作れるかどうかは知らないけれど。

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