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2005年1月 4日

「歴史」トラックバックピープルはじめました〜

ブログ情報ポータルblogpeopleがサービスのひとつとしてはじめた「BlogPeople トラックバックピープル」をご存じでしょうか?

ココログであればココフラッシュのユーザーカテゴリーから「歴史」をさぐれば歴史関係の記事が見つかったりしますが、ブログ同士の横のつながりとしてはちょっと中央集権的なイメージがします。ココログしか表示されないし。

そこで、このトラックバックピープルに「歴史」というのを作っちゃいました。ちょっと前から設定していたのですがTBをくださる方が増えたのでちょっと宣伝しちゃいます。参加は簡単

http://member.blogpeople.net/tback/00023

にトラックバックするだけ。すると、たりーず・ふぁいるの右サイドバーにあるようなリストに表示されます。

blogpeopleのIDをお持ちの方なら、みなさんのブログにもこのリストを表示できます。リンクリストの作成はblogpeopleにログイン後トラックバック・ピープル スクリプトの作成に行ってください。要領は通常のリンクリスト作成と同じです。

たくさんのブログでこのリストが表示されてみんなの記事がいっぱい読まれると嬉しいですね。

2004年10月 4日

チンギス・ハンの霊廟発見

チンギス・ハン:霊廟をモンゴル西部で発見 合同調査団
毎日新聞

モンゴル帝国を建設した英雄、チンギス・ハンの霊をまつる霊廟(れいびょう)をモンゴル西部で発見したと、国学院大、新潟大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の合同調査団(団長、加藤晋平・元国学院大教授)が4日、発表した。チンギス・ハンの墓の所在は不明で、世界史上の謎といわれる。しかし、墓と霊廟の位置関係を示す史料が残されており、今回の霊廟発見は墓の所在地に直結する重要な手がかりとして注目を集めそうだ。

ついに、大ハーンのお墓の場所も特定されそうな感じですね。

井上靖の筆になる「落日」という詩があります。

匈奴が死者を葬る時、一匹の駱駝を殉死せしめその血を墓所の上に注ぐ風習。そして翌年、駱駝が己が同族の血をかぎ当てて咆哮するところで祭壇を作り死者を供養した・・・という話。そして最後をこう締めくくります。

因みに彼等の考え方に依れば、そのような平原を地殻と言い、そのような平原の果てに沈む太陽を落日という。そしてまたそのような平原に降り積む雪を降雪というのである。

匈奴と同じく遊牧民だったモンゴルもハーンの墓に駱駝や馬の血を注いだのでしょうか。そんなことをこのニュースを読みながら考えていました。

2004年7月24日

「酒池」は実在した?

「酒池」は実在した?=殷遺跡から、「史記」と酷似−中国:時事通信社

【北京24日時事】中国最古の王朝と確認されている殷代(紀元前16世紀〜同11世紀)最初の都があった「偃師商城」(河南省)遺跡から、石で造られた大規模な池の跡が発見された。司馬遷の「史記」には、ぜいたくな酒宴を意味する「酒池肉林」の由来となる、美酒が注ぎ満たされた殷代の池の話が出てくるが、発見された池が殷代の王の「酒池」だったのではとの見方が浮かび上がっている。国営新華社通信がこのほど伝えた。

この記事ではその大きさはわかりませんが、なかなか興味深いですね。美容のために酒風呂がいいとかいって日本酒を一杯注いだ風呂にはいる、なんてしたことありますか?汗がどっと出てなかなかいいものです。でも長風呂は出来ませんね・・・。これは酒風呂ではなく酒池。なんともスケールの大きな話ですね・・・。

2004年7月16日

重要な化石発見-「エディアカラ生物群」

進化せず「消えた生物」 カナダ5億年前の地層に:毎日新聞

今回見つかった化石は、植物のような形で、幹から枝分かれした葉が伸びたような構造だった。研究チームは「海底から上に向かって生える茎を持ち、自由に漂っていた可能性がある」と推測する。エディアカラ生物群は骨格を持たないため明りょうな化石は少ないという。

写真は転載不可ですのでリンク先を見てくださいませ。珊瑚のようにも見えますがそれは化石になってるから(笑)海底から生えていたようですがれっきとした動物だそうです。

この生物群はまさに全球凍結を生き延びた生物たちが大進化した物なのです!この後、私の大好きなアノマノカリスが登場するバージェス動物群の登場となるわけです。Nスペ直前のタイムリーなニュースでした。

エディアカラ生物群最古の動物群化石

2004年7月15日

中国・高句麗を朝鮮古代国家から削除

高句麗問題で中国に遺憾=韓国(時事通信 7/14)

 【ソウル14日時事】韓国外交通商省は14日、中国外務省が最近、同省のホームページに掲載していた古代朝鮮半島国家の欄から高句麗を削除したことに対し、中国政府に深い遺憾の意を伝えたことを明らかにした。

明らかに中国は「高句麗史は中国史の一部」というスタンスを変えていないようですね。そのうち、高句麗のあった地域は「歴史的に中国の国土である」などと言い出しかねないですよ。まあ、それが彼らの手口なんですが、歴史をそのような道具として積極活用するのは感心しませんね。そいでまた周辺国が同じような論法を真似するわけで、あまりに古い時代にまで遡及して領土問題と絡めていくのは問題大ありです。

歴史的に見ればウイグルやチベットなんかは中国とは言えないわけで、自らの首を絞める論法であるとも言えるのですけれどもね。やれやれって感じです。

2004年7月 7日

青竜、白虎はがし修復-キトラ古墳壁画

青竜、白虎はがし修復-キトラ古墳壁画奈良新聞

明日香村のキトラ古墳(特別史跡、七世紀末〜八世紀初め)について保存活用を検討する文化庁の調査研究委員会の作業部会は6日、極彩色壁画のうち傷みが激しい四神図の青竜、白虎をはがし石室外で修復するよう提案すると決めた。

ということで、ようやく貴重な文化財の保存についての方向性が打ち出されたようですね。

東、西壁のこの二図は壁からはく離。戻すのは難しいと判断したもようだ。12日の委員会で提案。委員に慎重意見は強いが了承の公算が大きい。

日本の考古学者には遺構を現状(場)保存というか、発掘された場所で保存するという原則があるので、壁画のように遺構にくっついている物をはがすというのは、かなり抵抗感があるでしょうね。しかし、高松塚の壁画の退色などでやはり現場での保存は難しいと判断したのでしょうね。

次は、どのような形で公開されるのか、興味深く思います。

2004年7月 5日

日中・日韓歴史問題と高句麗遺跡についてホントにちょっとだけ考える

このたび北朝鮮初の世界遺産に登録された「高句麗壁画古墳群」についてはずいぶんと前にたりーずふぁいるでいろいろ考えたので特にコメント、ちゅーわけでもないのです。

同遺跡を含む「高句麗文化圏」について、中国周辺の少数民族史という捉え方をしている中国も、なぜか気を遣って「中朝で同一のルールを作って協力して管理することもできる」などと柔軟な態度を示しているようですね。

しかし、中国は古代日本も、古代ベトナムも同様に「中国周辺の少数民族史」という捉え方なのじゃないかな。このあたりの歴史構造を冷静に眺めてみれば日中・日朝に横たわる歴史問題の解決の糸口はあるかも知れないなぁ等とも思うんですよね。過去の出来事を本来の意味での「歴史」にしていないから問題なわけで50年も前のことをいまだに歴史に出来ず時事問題として考えているところに大きな問題があるということを。

 さっさと歴史の中に位置づけて「未来志向の国際関係」という美しい言葉を各国が実践することを願っています。

2004年6月19日

キトラ古墳の壁画下書き

ちょいと雑談チックに・・・

朱雀壁画にも下書き-キトラ古墳(奈良新聞)

明日香村阿部山の国特別史跡・キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)に描かれた朱雀の壁画は、しっくいの上にヘラのような道具で下書きされていることが、文化庁の公開写真で17日までに分かった。

 ずっと疑問だったんですよ。あんな狭い場所でどうやって下書きしたのかなって。紙に書いた元絵を、乾ききっていない漆喰に重ねてその上からへらでなぞって線刻を残す。意外に単純な方法だったのですねぇ。高松塚にはこの技法は使われていないと言うことなので、作画を担当したのは違う工人集団だったのかな。

梅雨に入ってカビの話題ばかりのキトラ古墳でしたが被葬者の歯や骨、木棺の金具なども発見されたそうで、被葬者像がより明らかになって来そうですね。天武天皇の皇子クラスという説が有力ですが、そうなると「火の鳥・太陽編」の時代と重なってなかなか面白いなぁと思ってしまいました。

2004年6月 5日

世界遺産・麗江

「麗江」と書いてLI JIANGと発音します。カタカナで書いたらリージャンかな。明日の世界遺産は中国雲南省の麗江古城。

私が訪れた頃はまだ空港もなく(というか軍用だった)麗江へは大理・昆明からバスで行かねばなりませんでした。途中、大きな峠(おそらく3000メートル以上はあるでしょう)を越えていくハードなバス旅でした。空港がある今は楽なのでしょうね。

素晴らしい町並みは今でも心の中に残っています。明日の「世界遺産」は必見ですよぉ〜。

reikou1.jpg reikou2.jpg

関連たりーず・ふぁいる トンパ文字の思ひ出

2004年4月26日

米国の占領がうまく行かないわけを考える

アメリカはイラクを「戦後日本」のようにうまく占領できると考えているみたいだけれども、それはたぶん無理だろうと思うわけです。その理由を漠然とだけではなくちょっと仮説めいて考えてみました。

まず、戦後アメリカの日本占領がうまくいった理由は、アメリカが賢かったからでも日本人がバカだったせいでも無いと思っています。それが成功したのは、日本人の持っている中華的メンタリティが大きな要因ではないかと思っています。

 中国(当時は清)が力を失っていく段階でアジアにあった中華圏の国々はどんどん欧米の植民地化を受け入れてしまう。東南アジアに置いては「異人の王様国家」という歴史的な流れの中で、支配者の頭をすげ替えるだけでそれは可能だった。日本と朝鮮、ベトナムはもっと中華の核に近い部分にあったので、おそらく指向としては「清が力を失ったのなら自らが中華の中心になろう」という方向性があったとおもうのです。でもそれは具体的にそういう言葉では考えてはいないでしょうけれども。

 大東亜共栄圏なんて考え方は実に「中華思想的」な発想と思えるのです。自ら中原の華にならんとした日本帝国。しかし、日本は武力でアメリカに負けてしまう。

だから、今度は日本にとっての中華の核がアメリカに行っちゃったわけです。文化も経済も中華では「もっとも文化レベルが高く軍事力の強い国」を中心に自らを支えようとします。中華思想が東アジア圏にとどまらず世界規模に拡大した瞬間です。日本にとっての「中華」はアメリカになってしまったのです。そのメンタリティをラッキーにも利用できたからアメリカは日本で成功できた。

 でも、イラクは違いますよ。中華的なメンタリティなど持ってはいない。

だから、日本モデルを持ち込んでもかならず失敗します。そう歴史から読んでみました。
こんな仮説を考えてみましたがいかがでしょうかね・・・。