ブログ情報ポータルblogpeopleがサービスのひとつとしてはじめた「BlogPeople トラックバックピープル」をご存じでしょうか?
ココログであればココフラッシュのユーザーカテゴリーから「歴史」をさぐれば歴史関係の記事が見つかったりしますが、ブログ同士の横のつながりとしてはちょっと中央集権的なイメージがします。ココログしか表示されないし。
そこで、このトラックバックピープルに「歴史」というのを作っちゃいました。ちょっと前から設定していたのですがTBをくださる方が増えたのでちょっと宣伝しちゃいます。参加は簡単
http://member.blogpeople.net/tback/00023
にトラックバックするだけ。すると、たりーず・ふぁいるの右サイドバーにあるようなリストに表示されます。
blogpeopleのIDをお持ちの方なら、みなさんのブログにもこのリストを表示できます。リンクリストの作成はblogpeopleにログイン後トラックバック・ピープル スクリプトの作成に行ってください。要領は通常のリンクリスト作成と同じです。
たくさんのブログでこのリストが表示されてみんなの記事がいっぱい読まれると嬉しいですね。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
チンギス・ハン:霊廟をモンゴル西部で発見 合同調査団
毎日新聞
モンゴル帝国を建設した英雄、チンギス・ハンの霊をまつる霊廟(れいびょう)をモンゴル西部で発見したと、国学院大、新潟大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の合同調査団(団長、加藤晋平・元国学院大教授)が4日、発表した。チンギス・ハンの墓の所在は不明で、世界史上の謎といわれる。しかし、墓と霊廟の位置関係を示す史料が残されており、今回の霊廟発見は墓の所在地に直結する重要な手がかりとして注目を集めそうだ。
ついに、大ハーンのお墓の場所も特定されそうな感じですね。
井上靖の筆になる「落日」という詩があります。
匈奴が死者を葬る時、一匹の駱駝を殉死せしめその血を墓所の上に注ぐ風習。そして翌年、駱駝が己が同族の血をかぎ当てて咆哮するところで祭壇を作り死者を供養した・・・という話。そして最後をこう締めくくります。
因みに彼等の考え方に依れば、そのような平原を地殻と言い、そのような平原の果てに沈む太陽を落日という。そしてまたそのような平原に降り積む雪を降雪というのである。
匈奴と同じく遊牧民だったモンゴルもハーンの墓に駱駝や馬の血を注いだのでしょうか。そんなことをこのニュースを読みながら考えていました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
「酒池」は実在した?=殷遺跡から、「史記」と酷似−中国:時事通信社
【北京24日時事】中国最古の王朝と確認されている殷代(紀元前16世紀〜同11世紀)最初の都があった「偃師商城」(河南省)遺跡から、石で造られた大規模な池の跡が発見された。司馬遷の「史記」には、ぜいたくな酒宴を意味する「酒池肉林」の由来となる、美酒が注ぎ満たされた殷代の池の話が出てくるが、発見された池が殷代の王の「酒池」だったのではとの見方が浮かび上がっている。国営新華社通信がこのほど伝えた。
この記事ではその大きさはわかりませんが、なかなか興味深いですね。美容のために酒風呂がいいとかいって日本酒を一杯注いだ風呂にはいる、なんてしたことありますか?汗がどっと出てなかなかいいものです。でも長風呂は出来ませんね・・・。これは酒風呂ではなく酒池。なんともスケールの大きな話ですね・・・。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
進化せず「消えた生物」 カナダ5億年前の地層に:毎日新聞
今回見つかった化石は、植物のような形で、幹から枝分かれした葉が伸びたような構造だった。研究チームは「海底から上に向かって生える茎を持ち、自由に漂っていた可能性がある」と推測する。エディアカラ生物群は骨格を持たないため明りょうな化石は少ないという。
写真は転載不可ですのでリンク先を見てくださいませ。珊瑚のようにも見えますがそれは化石になってるから(笑)海底から生えていたようですがれっきとした動物だそうです。
この生物群はまさに全球凍結を生き延びた生物たちが大進化した物なのです!この後、私の大好きなアノマノカリスが登場するバージェス動物群の登場となるわけです。Nスペ直前のタイムリーなニュースでした。
エディアカラ生物群:最古の動物群化石
| Permalink
|
| TrackBack (0)
高句麗問題で中国に遺憾=韓国(時事通信 7/14)
【ソウル14日時事】韓国外交通商省は14日、中国外務省が最近、同省のホームページに掲載していた古代朝鮮半島国家の欄から高句麗を削除したことに対し、中国政府に深い遺憾の意を伝えたことを明らかにした。
明らかに中国は「高句麗史は中国史の一部」というスタンスを変えていないようですね。そのうち、高句麗のあった地域は「歴史的に中国の国土である」などと言い出しかねないですよ。まあ、それが彼らの手口なんですが、歴史をそのような道具として積極活用するのは感心しませんね。そいでまた周辺国が同じような論法を真似するわけで、あまりに古い時代にまで遡及して領土問題と絡めていくのは問題大ありです。
歴史的に見ればウイグルやチベットなんかは中国とは言えないわけで、自らの首を絞める論法であるとも言えるのですけれどもね。やれやれって感じです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
青竜、白虎はがし修復-キトラ古墳壁画奈良新聞
明日香村のキトラ古墳(特別史跡、七世紀末〜八世紀初め)について保存活用を検討する文化庁の調査研究委員会の作業部会は6日、極彩色壁画のうち傷みが激しい四神図の青竜、白虎をはがし石室外で修復するよう提案すると決めた。
ということで、ようやく貴重な文化財の保存についての方向性が打ち出されたようですね。
東、西壁のこの二図は壁からはく離。戻すのは難しいと判断したもようだ。12日の委員会で提案。委員に慎重意見は強いが了承の公算が大きい。
日本の考古学者には遺構を現状(場)保存というか、発掘された場所で保存するという原則があるので、壁画のように遺構にくっついている物をはがすというのは、かなり抵抗感があるでしょうね。しかし、高松塚の壁画の退色などでやはり現場での保存は難しいと判断したのでしょうね。
次は、どのような形で公開されるのか、興味深く思います。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
このたび北朝鮮初の世界遺産に登録された「高句麗壁画古墳群」についてはずいぶんと前にたりーずふぁいるでいろいろ考えたので特にコメント、ちゅーわけでもないのです。
同遺跡を含む「高句麗文化圏」について、中国周辺の少数民族史という捉え方をしている中国も、なぜか気を遣って「中朝で同一のルールを作って協力して管理することもできる」などと柔軟な態度を示しているようですね。
しかし、中国は古代日本も、古代ベトナムも同様に「中国周辺の少数民族史」という捉え方なのじゃないかな。このあたりの歴史構造を冷静に眺めてみれば日中・日朝に横たわる歴史問題の解決の糸口はあるかも知れないなぁ等とも思うんですよね。過去の出来事を本来の意味での「歴史」にしていないから問題なわけで50年も前のことをいまだに歴史に出来ず時事問題として考えているところに大きな問題があるということを。
さっさと歴史の中に位置づけて「未来志向の国際関係」という美しい言葉を各国が実践することを願っています。
| Permalink
|
| TrackBack (1)
ちょいと雑談チックに・・・
朱雀壁画にも下書き-キトラ古墳(奈良新聞)
明日香村阿部山の国特別史跡・キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)に描かれた朱雀の壁画は、しっくいの上にヘラのような道具で下書きされていることが、文化庁の公開写真で17日までに分かった。
ずっと疑問だったんですよ。あんな狭い場所でどうやって下書きしたのかなって。紙に書いた元絵を、乾ききっていない漆喰に重ねてその上からへらでなぞって線刻を残す。意外に単純な方法だったのですねぇ。高松塚にはこの技法は使われていないと言うことなので、作画を担当したのは違う工人集団だったのかな。
梅雨に入ってカビの話題ばかりのキトラ古墳でしたが被葬者の歯や骨、木棺の金具なども発見されたそうで、被葬者像がより明らかになって来そうですね。天武天皇の皇子クラスという説が有力ですが、そうなると「火の鳥・太陽編」の時代と重なってなかなか面白いなぁと思ってしまいました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
「麗江」と書いてLI JIANGと発音します。カタカナで書いたらリージャンかな。明日の世界遺産は中国雲南省の麗江古城。
私が訪れた頃はまだ空港もなく(というか軍用だった)麗江へは大理・昆明からバスで行かねばなりませんでした。途中、大きな峠(おそらく3000メートル以上はあるでしょう)を越えていくハードなバス旅でした。空港がある今は楽なのでしょうね。
素晴らしい町並みは今でも心の中に残っています。明日の「世界遺産」は必見ですよぉ〜。

関連たりーず・ふぁいる トンパ文字の思ひ出
| Permalink
|
| TrackBack (0)
アメリカはイラクを「戦後日本」のようにうまく占領できると考えているみたいだけれども、それはたぶん無理だろうと思うわけです。その理由を漠然とだけではなくちょっと仮説めいて考えてみました。
まず、戦後アメリカの日本占領がうまくいった理由は、アメリカが賢かったからでも日本人がバカだったせいでも無いと思っています。それが成功したのは、日本人の持っている中華的メンタリティが大きな要因ではないかと思っています。
中国(当時は清)が力を失っていく段階でアジアにあった中華圏の国々はどんどん欧米の植民地化を受け入れてしまう。東南アジアに置いては「異人の王様国家」という歴史的な流れの中で、支配者の頭をすげ替えるだけでそれは可能だった。日本と朝鮮、ベトナムはもっと中華の核に近い部分にあったので、おそらく指向としては「清が力を失ったのなら自らが中華の中心になろう」という方向性があったとおもうのです。でもそれは具体的にそういう言葉では考えてはいないでしょうけれども。
大東亜共栄圏なんて考え方は実に「中華思想的」な発想と思えるのです。自ら中原の華にならんとした日本帝国。しかし、日本は武力でアメリカに負けてしまう。
だから、今度は日本にとっての中華の核がアメリカに行っちゃったわけです。文化も経済も中華では「もっとも文化レベルが高く軍事力の強い国」を中心に自らを支えようとします。中華思想が東アジア圏にとどまらず世界規模に拡大した瞬間です。日本にとっての「中華」はアメリカになってしまったのです。そのメンタリティをラッキーにも利用できたからアメリカは日本で成功できた。
でも、イラクは違いますよ。中華的なメンタリティなど持ってはいない。
だから、日本モデルを持ち込んでもかならず失敗します。そう歴史から読んでみました。
こんな仮説を考えてみましたがいかがでしょうかね・・・。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
万葉人も厳しい査定-飛鳥京跡で考課木簡奈良新聞(4月22日)
明日香村岡の酒船石遺跡で7世紀後半の石組み溝から出土した木簡が、現在のボーナスにあたる「季禄」の考課表だったことが、21日までに分かった。飛鳥京跡で考課木簡が見つかったのは初めて。1300年前の役人たちも、勤務日数によって厳しく「査定」されていたらしい。村教育委員会の平成14年度遺跡調査概報(先月発行)に掲載された。
ううっ・・・成果主義導入等、勤め人には厳しい時代が来たなぁと思いきや、万葉の時代から勤め人は考課され続けているのでしたか・・・。なんだか、1300年前の役人さんの事と、人ごとにできない気分が(>_<)
| Permalink
|
| TrackBack (0)
もう題名の通りなのでありますが、そう思うのです。歴史を学ぶことの重要性は「今」に役立つ知恵であることです。日本史にしろ世界史にしろ現在と密接につながる「ちょっと前」の出来事こそ詳しく学ぶべきだと思います。
もう一つ、歴史は「進化論」的な発想から学ぶべきではないと思うのです。以前にも書きましたがエピソードの記録という側面とそれらの現在に対する「歴史的な意味」はきちんと分けて教える必要があると思うのです。歴史は進化発展するものではないし、現在に対しての相対的な意味しか持たないのですからやはり現代から遡上して過去に向かっていくのがいいのではないかと。
個人の思い出だって、近いところから思い出していくように思うんですけどね。それは近い思い出ほど現在に重要で濃いから。遠い昔の事なんて懐かしいだけの事が多いですよね。もちろん、歴史的トラウマの原因は知っておかねばなりませんが。
たなぼた:ひっそりと生きようねには微笑んでしまいました。何も起きなければ21世紀の日本は「平和な時代」として記録されるでしょうね(^_^)
| Permalink
|
| TrackBack (2)
先日話題にした飛鳥京跡の近所にある石舞台古墳。その付近、旧飛鳥小学校の校庭だったところだと思うんだけど、やっぱり出てきましたねぇ。道を挟んだおみやげ屋さんのたこ焼きは仕事の休憩中によく食べたんだけどまさかそんなところに!って感じです。さすがに飛鳥は国のまほろば。ほんの数百メートル圏内に重要遺跡が出るわ出るわ。
こりゃ久しぶりに飛鳥に行かねばなるまいなぁと思うこのごろ。近鉄の開幕戦を見た後にでも足を伸ばして出かけてみるかな。ちょうど桜のシーズン前だしね!〜。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
飛鳥浄御原宮関連。
3~4千個敷き詰められた石の中にひとつだけ、酒船石遺跡から石垣の石が使われていたそうです。斉明天皇の築いた施設の石をわざわざ使っているところに天武天皇らの意志を感じますね。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
飛鳥浄御原宮の中心施設とみられる施設が飛鳥京跡で見つかったそうです。奈良で仕事をしていたときは営業車で走り回っていた地域だけに、このあたりでの発見にはなんか感慨深いものがあります。
この場所で天武天皇らが政を行っていたのか。ふむふむって感じです。峠を越えるとすぐに吉野にでられるこの場所というのも興味深いです。
そろそろ桜の季節が近づいてきました。石舞台古墳の桜が満開になる頃に、久しぶりに訪れたくなるニュースですね。
その近くにある川原寺の瓦を、香川県三野町の宗吉瓦窯跡で作っていたらしいというニュースもあり、いろいろと考えを巡らせる一日でした。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2004年4月号のNewtonを手に取られた方はおられるでしょうか。火星からの最新報告も面白かったのですが、私の目をひいたのは「人類史ゆるがす?4500年前の文明」という記事でした。
メソポタミア文明とインダス文明の狭間の地域であるイラン高原に存在したと言われる文明が、メソポタミア文明に匹敵するものであったとする特集です。私は知らなかったのですが、2001年にジロフトという都市の近郊で逮捕された盗掘業者の持っていた盗掘品の数々だったといいます。盗掘者は遺物の美術品・骨董品としての価値は理解できても「歴史」の重みは理解できないもの。(南米の遺跡を特集するたびに「黄金・おうごーん・ひほー」と連呼する民放の感覚はハッキリ言って盗掘者に近いものですね。)
しかし、とりあえず掘ってしまうというそのパワーが考古学や歴史の新しいページを開くのは皮肉なものです。
Newtonは美しいカラー印刷が売りですが、この特集でも様々な遺物が載せられていますので、興味のある方は必読ですし、興味のない方も書店で是非めくってみてください。サソリ人間の像なんかはなかなか面白い意匠です。こうした新しい文明の発見が超なヒトタチによって神々の何とかのネタにされないことを祈りつつ、科学的な発掘調査が進み文明の全貌が明らかになっていくことを願います。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
【黒塚】古墳の名前、由来は「玄武」?-今尾橿原研総括学芸員が学説
(奈良新聞記事)
記事によると
黒塚古墳の調査では、前方部と後円部の境で幅6メートルの
堀跡が見つかっており、付け城の役目を持たされていたらしい。
本拠地は南側の楊本城だった。今尾さんは、黒塚古墳を中心と
する拠点の位置が東から南に移動したことに注目。楊本城の中
心からみれば黒塚古墳は北側にあたり、四神思想の配色に合わ
せて「黒塚」と呼ぶようになったと推定した。
とのこと。なるほどなぁ。「方位」ってのは当時すごく大切だったわけで、やはり歴史を考えるに当たって当時の人々の精神世界への理解は本当に必要。今では考えられないことが当時は真剣に考えられていたりする。この原理原則は近現代史にとっても同じ事。太平洋戦争時の世界史を考えるに当たってもそれぞれの国の精神世界(たとえば宗教的・経済的・文化的バックボーン)を前提においた上で考えないと無意味な「歴史上の責任論」に陥りがちになる。これは注意しなくっちゃね。
脱線ついでに、この古墳のある天理市柳本ってところは、奈良盆地を見下ろせる小高い場所です。すごく夜景が綺麗なんですよ。学生の頃は天理ラーメンを食べた後奈良市内に戻るときに、この夜景を眺めながら帰ったものです。う〜ん、懐かしや。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
都会、特に関東地方の人にはあまり興味がない話題だろうけれども、最近、奈良県の大滝ダムが気になります。その昔、もう10年以上前に吉野川中流域を日々営業で駆け回っていたからです。
吉野川流域は日本の古代史においても重要な地域で、現在でもあちこちにその面影を見いだせます。上市から峠を越せば直接石舞台の裏に出てくる街道があったり、営業ならではのフットワークでいろいろと見て回ったものです。大滝ダムの建設地の少し下流には大滝茶屋という柿の葉寿司の店があって、私はここの柿の葉寿司が一番好きです。
ダムの工事はそのまま道の付け替え工事でもあります。新宮に抜ける国道はドライブのルートとしてはすごく景色がいい好きな道でしたが大滝ダムの工事区間(長い!)は「おいおいこの渓流が無くなるんかいな?」という感じで非常につらい道でもありました。途中には歴史のある神社、丹生川上神社があって、移転を余儀なくされました。あの立地自体が重要なのであって移転地を用意してもその神聖さが失われてしまうことはさけられません。信仰とはそういうものだと思うんですよね。
深い谷の急斜面に張り付くように家が建っている山村地域。もともと地滑りがあるようなところでダムに水を貯めたら素人目に考えても大変なことになるだろうなと当時から思っていましたが、やはり大変な事になっていますね。やれやれです。壊される自然や生活について真剣に考えた結果とは思えないところが腹立たしいですね。
この川をさかのぼっていくと入之波温泉という秘湯があります。含炭酸重曹泉という珍しい泉質です。近郊の方はダムの状況などを視察がてら、温泉にも足を運んではいかがでしょうかね。
百聞は一見にしかず。こんな大規模なダム工事をまだ続けているという現場を賛成反対いろいろ思いながら、それでも現実を直視してからでないと、何もはじまらないですよね。
またまたおちなしでした・・・
| Permalink
|
| TrackBack (0)
ドキュメント・エルサレム(前編)の続き。
ドキュメント・エルサレム(後編)を見ました。一神教の宗派争いの中心地がエルサレムという場所に集約されているということがよくわかりましたねぇ。アメリカ兵器産業の発展のために中東地域はあえて混乱状態におかれていると私は感じていたのですが、今回の番組を見てもその感覚は同じでした(番組でその部分を強調していたわけではありませんよ)。
なかでも一番気持ち悪かったのはキリスト教福音派の方々。思わずドラグネットー正義一直線ーを思い出してしまいました(^_^;)アメリカで分厚い絨毯のひかれた部屋でお茶を飲みながら「エルサレムにキリスト教徒が入れるようにするために、年間数億ドルにも及ぶ無償武器供与をイスラエルに行うのだ〜」なんて言ってるかと思うと、一神教の宗派の中ではキリスト教徒が一番戦争好きのように思えますね。
自爆テロについてはアサシン(暗殺教団)の存在があったイスラム教の一番危険な特色が出ていると思えますね。うーん。やはり、モンゴルのように強力な外圧がないとまとまらないのでしょうか?しかしアメリカはモンゴル軍にはなり得ないでしょう・・・同じ宗派争いの仲間ですから。まさに出口のない袋小路。
中国が巻き起こしかねない「歴史認識戦争」が同じような歴史構造なのも非常に危険を感じますね。
| Permalink
|
| TrackBack (1)
高句麗の歴史は誰のもの?の続きです。
中国と北朝鮮間でもめている「高句麗歴史帰属問題」に関連して以下のような記事が・・・
「北朝鮮と中国に分散する高句麗(紀元前1世紀後半−紀元668年)の遺跡群について、北朝鮮が自国側の古墳群を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録する手続きを進めていたが、中国が単独登録に反対。結局、今年6月に中国・蘇州で開かれる世界遺産委員会で両国の世界遺産として同時に登録される見通しとなったことが6日、分かった。」→記事
ふーん。世界遺産といえども政治問題に配慮するんだねぇ。せっかく「人類共通の遺産」として登録するというふれこみなんだから「国」とは関係なく、歴史の遺産として登録する仕組みにしてほしかった。たとえば、遺産の場所を登録するときは「○○国のどこそこ」という情報よりも「緯度経度・標高」といった「絶対番地」での登録のみにするとかね。
世界遺産もだんだんきな臭い事の駆け引きに使われ出して興ざめだね・・・
ここもチェック→「高句麗は中国史の一部」について:「僕が本当に若かった頃」
| Permalink
|
| TrackBack (2)
<奈良・吉備塚古墳から人物像や龍・虎の装飾の施された刀剣を発掘>
詳しくは吉備塚古墳発掘報告へ
現地説明会は2月7日(土)→詳細
人物を描いた刀剣の出土は国内では例がないそうで「稲荷山古墳などの鉄剣出土以来の驚き」と伝えたニュースもありました。写真を見たときには「お、なんだか中国っぽいねぇ」と思いましたが、やはり奈良大学の水野正好先生は「不老不死を願う神仙思想や道教的思想をあらわす貴重な資料」と指摘し「国内に神仙思想が伝わっていたことを実証するものだ。」と評価されているようです→報道
いつのまに水野先生は「宗教考古学」って肩書きがつくようになったんだろう?などと思いながらも、この太刀はどのような経緯でこの古墳に埋葬されたのか興味が湧きますね。太刀が国産なのか中国からもたらされたものなのか。今後の発掘調査に期待です(^_^)
| Permalink
|
| TrackBack (0)
たりーず・ふぁいるの背景画像に使っているのは「トンパ文字」です。流行りましたね〜トンパ文字。
私は1987年に中国雲南省は麗江に行きました。まだ飛行機では行けなかった時代なので大理からバスで向かうわけです。昆明から大理までもバスなので、おしりがかなり痛かったです。それはともかく麗江にはいるバスが峠を越えて麗江の街に下っていくところの風景はものすごく綺麗でした。飛行機ではあれは味わえませんね。時間と体力のある方はぜひバスで行ってください(崖から転落もあるので注意ですけど)。
麗江の街は世界遺産に登録されるぐらいの歴史的な町並みです。素晴らしかったです。「乳扇」と呼ばれるチーズの一種を油で揚げて食べる料理が美味しかったなぁ。町はずれにトンパ文化の研究施設があって、当時は平気で入っていってトンパ文字の書かれた教典の現物をいろいろ見せてもらえました。写真は撮っちゃ駄目って言われたんで、残念だったんだけどすごくいい思い出になりました。
その後何回か中国に行きましたが、1989年の冬に上海空港の喫茶コーナーで京都・西陣織メーカーの人とたまたま出会って数分でしたがお話ししました。彼は中国に何か新しい意匠を探しに来たのだと言っていたので、トンパ文字のお話をしたのですが、当時の私は小汚い格好でしたのであまり相手にされませんでしたね。
あの時、あの人がトンパ文字を見に行って意匠として布地とかに取り入れてたら、誰よりも早くトンパ文字を日本で紹介する商品になったのになぁ、などと勝手に想像しています。いまだにトンパ文字の織物が出たという話は聞かないので、やはり伝統産業が改革していくのは大変なことなんだろうと思っています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
NHK地球に乾杯「中国天空のひつぎ」を見ました。三峡は一度だけ船で下りましたが、よもやそんなものが断崖にあるとは思いもよりませんでした。
番組に出てきた「銅鼓」ですが、中国南方の少数民族(といっても1,000万以上の人口の民族もいるのだが)の文化を象徴する楽器です。チワン・プイ・ミャオ・ヤオ・イ・トン・スイ・ワ族などが、銅鼓を持つ民族とされています。宗教祭祀に使われていたが、最近はもっぱら祭りを盛り上げる楽器として使われるのがほとんどらしいです。
番組では銅鼓について深くふれていなかったけど、実はすごく深い問題があります。それは青銅器文明とのつながりの問題とか、もともとは炊飯に使われていた=稲作文化と関係が深い・・・などなど。
番組で出てきたスイ族(水族)は人口は30万人以上。族源は秦漢以前の百越のなかの「駱越」だと言われています。隋唐の頃までは焼き畑を営んでおり、宋代ころから水稲を栽培。水族という名称は明代の文献にはじめてみられるそうです。
番組で紹介されていた棺の分布図を見ているとミャオ族にも関係ありそうな気がしたんだけど、根拠はなし(^_^;)ちょっと興味を持ったのでそのうちもっと詳しく調べてみます。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
今日のNHKスペシャル「ドキュメント・エルサレム」前編ですが、なんというか「今必見」の番組だったと思います。見逃した方は再放送を要チェックです。
イスラエルの新しい地図を作るエピソードの紹介はなかなか考えさせられました。まさに「歴史」が国家に必要とされた現場だったからです。
いろいろ思うことがあるのですが後編を見てからまとめてみたいと思っています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
みそがいの防戦一方 『新選組!』と史実を読んで、コメントしようかと思ったけど話が広がりそうだったのでトラックバックします。
「史実」いわいる「歴史上の事実・真実」って事だと思うんですが、「歴史」の大きな前提に「文字で書かれたもの」ってのがあります。歴史とは文字で記されるものなのです。だから、文字なかった(現在の認識では文字と見なしていない別の方法で記しているかも知れないけれど)文明の歴史は「史実」としては語られることはないのです。
つまり、文字で書かれていること以外の事は別分野の社会科学(考古学や地理学など)の成果からの推測に過ぎません。つまり「真実だけを伝えている歴史はない」ということなのです。ドラマであるとはいえ『新選組!』は歴史の一解釈であっていいはずです。もっとも、求めているものがエンタテイメントであるのだから「歴史学」という学問からはちょっとはずれますけどね。(時々、考古学は歴史学だと思っている人に会いますが、近しいけれども違う学問ですよって言うと、なんだか怒られますがなんで?)
で、先の記事にあった「失望した」という人は何に失望したんでしょうね。私はそれを考えると恐ろしくなります。大げさに言えば「北朝鮮で教えている世界史と、日本で教えている世界史が違うから日本に失望した」というのと同じ文脈に思えるんです。まあ「失望しちゃいけない」とは言わないですけどね。
歴史というのは真実を伝えるものではありません。文字に記された歴史が真実だと信じ込むことの恐ろしさを我々はイヤと言うほど、その例を知っているはずなのに。本当の歴史というものはありますが、それが真実とは限らない。歴史とは一種のパラダイムでもあるんです(大化の改新を蘇我氏側から見た歴史で記した教科書がないのはパラダイムとしか言いようがないでしょう)
歴史が好きで、ある人物が好きで、そのことは誰よりも詳しいという人がたくさんいます。だけど、歴史原理主義には陥らないでほしいのです。あらゆる解釈を受け入れる柔軟性を持って欲しい。そう思うのです。
んで最終的に何が言いたいか。『新選組!』の解釈はワタクシ的には「あり!」です。いけませんかね?
| Permalink
|
| TrackBack (0)
高句麗歴史問題をその後ずっともやもやしながら考えていたわけです。
もし、高句麗が「中国の地方史」であるとしたらベトナムはどうなるんだろう?おそらく同じような事を言い出すに違いないでしょうね。「南越史は中国の地方史である」と。そもそも中国はベトナム地方を属国として扱ってきた歴史があるので、すんごくあり得る話だと思うんですよね。
ベトナムのこの問題(高句麗問題)に対する反応も知りたいですね。
ベトナムの南半分、チャンパ王国の版図であった地方は文化的・宗教的に中国の地方とは言い難いけど、北の方はかなり中国の影響が強いので、導火線あり!とにらみます。
まあ、そんなこと言い出したら「大理王国史」などという中国の地方史も出てきそうですが、大理の人にしてみれば「俺たちはモンゴルに屈したのであって中国に併合されたつもりはないぜ!」って言うかも知れません。台湾も海南島も「華人がはっきりと住み始めたのは近代になってから」じゃなかったかな。
この問題には示唆される部分が多いですね。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
1996年に放映されたNHK人間大学の講義に「ガラスと文化」(講師:由水常雄)というのがあって、面白く見たのを思い出しました。そのなかでも新羅のローマン・グラスについての講義が非常に印象に残っています。4世紀〜7世紀中頃の新羅の古墳には決まってローマン・グラスが出土するが、それに対して高句麗や百済の古墳とされているものからは一点も発見されていないというものです。
講義の中では新羅王国の「中国文化との非共和性」についていろいろと述べられました。原典を当たったわけではないので孫引きになりますが、新羅と中国との国交関係も非常に希薄であったようです。もっとも驚いたのは暦。新羅は干支歴ではなくローマ歴が使われていたということ。歴史とともに国家がその権威を示すものは「暦」です。その暦が、当時東アジアの中心文化であった「中華」と違うものであるということは、新羅の異質性を明らかにしているように思います。
新羅が、非中華を貫くことで、中国の文化的侵略から自国を防衛しようとしていたのかどうかはわかりません。しかし、異質な国家「新羅」が長く続いた国家であった事を考えると、朝鮮半島が歴史上統一された地域であったという認識は「歴史的には科学的でない」というひとつの証拠になるでしょう。(
もちろん「半島」という地理的要因からであればひとつの「地域」であるとはいえます。)
注:個人的に「歴史が長いことが素晴らしいことで国家にとって大切なこと」とは思わない価値観で語っておりますので、そのあたりはご理解ください。決して朝鮮を卑下しているということではありませんので。誤解を恐れずに言い放っております。
中国に対する朝貢というのも、実は認識を新たにする部分もあります。中国に朝貢するということはその属国になるという意味ではないということです。むしろ中国とその周辺の朝貢国家の間には「権威のギブ・アンド・テイク」とでも言いたくなる関係があったと考えています。中国に朝貢することで、諸国の王朝は権威を授かったというのは学校でも習うことですが、むしろ中国にとって重要だったのは「朝貢されることで国内に対して皇帝の威信を示す」ことだったと思われます(貢いだものよりも大量に金銀宝石を持ち帰る朝貢国家も多かったのです。)そして、その関係は「軍事的圧力」以上の外交均衡を当時生み出していたと考えています。現代よりもずっと支配者の権威が神に近かった頃の事ですから、人心を掌握するのには軍事よりも効果があったのではないでしょうか。
現代中国も実は同じような構造を持っています。そう考えながら中国関係のニュースを読むと、不思議だった部分が、意外とあっさり理解できるかも知れませんよ。できなくてもごめんなさい(笑)
| Permalink
|
| TrackBack (0)
「高句麗時代の遺物搬出の朝鮮族死刑に」という記事を読んでいたたまれない気持ちでいます。この問題についての詳細な議論はそのうちゆっくりとしたいです。しかし、なんでこんな事になるんだ?という事は今叫んでおかないとさめてしまいそうなので書き込むことにしました。
1、「民族」という近代に発生した「認識」を過去に適応していく事に関しての問題
高句麗が「中華文化圏」のいち周辺国家であった事は確かだが、その歴史を「中国の地方史」とすることには反対です。歴史というのはフラクタルな構造を持つのではないだろうか?と思うので、「部分と全体」という意味で高句麗の歴史をとらえることはできても「中心と周辺」というとらえ方は疑問符だらけです。「支配の道具」として歴史を利用する危険性を、それこそ歴史に学ぶべきです。そもそも、中国だってずっと漢民族の国家ではなかったわけです。中国を支配してきたのは皇帝であって民族ではない。そもそも近代の領域国家という西欧的概念を中華的(もしくはヌガラ的)国家に当てはめるのは非常に無理がある。なんか支離滅裂になってしまったけど、要は「民族」が「歴史」を担っていたという「概念」は捨て去るべきだと主張します。
2、「国家」に帰属する「歴史観」はやだ
歴史を知れば知るほど、国境の意味がわかってくる。その歴史的な意味のなさに。国境がまるで地表に引かれた線のように思っていないかって。歴史というものは部分と全体が影響しあって構成されてきたもので「国家」という立場から見た歴史も、全体の中の部分に過ぎないという認識を強く持っていなければなりません。まるで今教わっている「歴史」が物理の法則のように唯一の原理であるかのように思いこむのは危険です。歴史はエピソードをつづった物語に過ぎない。そこから意味性を導き出すことが重要なのです。現在のための歴史ではなく、歴史あっての現在なのだと早く気づいてほしい。国家が歴史を利用するとき、そこには悪意が見え隠れします。「歴史」が政治において一番効果的に利用できるのは外交ではなく国内の統治に対してです。そういう意味で歴史を声高に叫ぶ国家の内情を考えることもできますね。外交に使えば一番大きな火種のひとつになります(もう一つは宗教)
3、歴史を持たない国家の強さ
つまり、アメリカの事です。歴史を下敷きとする既得権益としての国家に彼らは興味がない。現実の姿、未来の姿を追い求めるところにアメリカの強さを感じます。もちろんわがままや横柄さも感じます。しかし、歴史を持たない事による前向きなエネルギーの使い方を、もう少し考えてもいいかも知れません。。国家から歴史を切り離してそれぞれに考えられないか。日本の教育は「国家」というものの概念を「歴史」の授業でだけ教えていないか?って考えるとき「今の日本国家」を歴史じゃなく現実で学ぶことをもっと進めてはどうかな?なんて思ったりします。
1・2・3などと生意気に箇条書きにしたわけですが、中国は歴史を振りかざして周辺国にいろんな事をいってきますが、現実の今の姿をしっかり実体化させてそれに対抗しなければなりません。でもそれは「民族」とか「国家」といったイデオロギーでなく。答えはまだ持ってませんがじっくり考えていきたいと思っています。
朝鮮民族の起源を考える(極東ブログ)はぜひ参照ください。共感する部分が多いです。
| Permalink
|
| TrackBack (1)
せっかく歴史フォーラムなんてものをやってるので、歴史関連のココログ作ってる皆さん、ここにトラックバックくださいませ。検索でチェックして面白いものは紹介しようと思うんだけど、もっと積極的に読んでくれってTBしてくれるともっと嬉しかったりするので。実験的にやってみるので大きな期待はせずにご協力くだされば幸いです(^o^)
| Permalink
|
| TrackBack (2)
時間のフラクタルもありえる。って面白いなって思いました。「一部分が全体を表している」っていうことが歴史にも当てはまるかなと。
いま教科書などで教わっている歴史の大半は「国の歴史」そしてすんでいる地域の歴史。どちらにしても「クニ」の歴史といってもいいのかな。世界>国家>クニ(州とか県とか)>ムラ>イエ>個人というような構造が自己相似性を持ってはいないか?って妄想してみたわけです。ん?市民が銃を持って治安の悪い国が戦争を起こしている?そこの国民は凶暴かって?そんなことはマイケルムーアに聞いてくれ(笑)まあ大筋、市民が銃を持ってる国が戦争してるのに間違いはないだろう。(ただ気をつけなければならないのは銃(武器)が無くたって人間は殺せるってこと。・・・これは脱線。また別の機会にでも)
中国を中心とする「中華文化圏」を例にとれば、中心部の文化が伝播して周辺に行くほど薄いって考えがちだけど、実は遠方に行くに従って文化は「要素化」されよりピュアな形で残されているように思ったりする。これって実は中華圏全体でフラクタルな構造になってるのかな。日本の寿命って事なんかを考えてみると、日本が世界の一部であると同時に、全体を表す一部であることに想いを巡らすのも必要かな。
自分自身が世界の似姿であることをほんの少しでも考えれば、いい世界にしよう=いい人間でいようと思うんじゃないかな。世界が自分とはかけ離れた場所にあると思いがちだからこそ、大きな木の姿を見つめて自分がひとつの葉っぱであることに、もう少し自信を持っていいと思うんです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
銀河鉄道物語を見そこねたっ!って、今日は悔やんでいましたが、どうやら放送はなかったみたい(?)ふう。(でも念のためスカパーの方もチェックしておこう・・・)
で、さっきから999だのハーロックだののサイトを巡っておりました。そこで出会ったのです。私の長年の疑問をすっきりさせながら新たな謎を提起してくれるサイトに。それは戦士の銃の系譜!!
謎の多いコスモドラグーンのシリアルナンバー。そこにこだわってくださるとは(感涙)すばらしい。はてなにも解説があったけど、こっちはもっと情熱的やね。
ちなみに手元に持ってるフィギアのコスモドラグーンはメーテルでシリアルは3番となってる。
この問題たりぽんも追っかけてみようかしらん。

| Permalink
|
| TrackBack (0)
昨日スルメを見てイカがわかるか!の事を書いたんだけど、そっからちょっと気になりだした事。
それは「歴史」ははたしてエピソード記憶なのだろうか?ってこと。歴史がどういった性質を持つのかなんて事は歴史フォーラムで相当過去に繰り返し議論されてきた。だから、いまさらここで展開する気持ちはないんだけど。でも、過去に釈然としなかったことが<「エピソード記憶」から「意味記憶」への編集課程が脳にはある>というところからなんかクリアーになった様な気がする。
たとえば「戦争」と一言で言ったときに「エピソード」と「意味」をきちんと区別できずにいるのはもしかすると「歴史」というものの暗黒面なのかも知れない。口伝が記憶を伝える方法だった時代には、時を経るごとに「エピソード」は意味化されて伝えられてきた。歴史は意味として教訓化され浸透してきたのだ。ところがどうだろう、少なくとも日本では歴史・地理などは暗記ものとして「記憶力を競う」代表になってしまっている。エピソードが意味するものをこそ教えるべきなのに!!
いまだにヨーロッパ中心史観に縛られた表現が新聞やテレビで数多く見受けられるけど「そろそろやめようよ」って思うよね。個人がしっかり歴史を意味化して考えておかなければ、上手に「自分に都合のいい歴史の意味化を利用した国家や独裁者」によって歴史が民衆を偏向に導くツールとされてしまう。そのことの重要性を今、考える重要な時期なんじゃないかって気がしています。それは「人を殺してはいけない」などという事ではなく、事実を正面からとらえた解決策を探すために。
| Permalink
|
|