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2004年12月21日

恋とは変のこと

去年考えてた事を思いかえしてみるというのも日記の使い方でしょう。

恋は感情だから同時に「好き」と思うことは出来る、と思ったりする。でも、綺麗なヒトだから好きになるってことは無くって、やっぱり愛する人とどこか共通項を持ってるひとを好きになるんだろうな。

愛する人以外に好きな人がいてはいけない・・・というのは精神の束縛でしかないけれど、愛する人を傷つけるような恋はしてはならないだろうし、「愛すること」が意思であるならば、その意思によって恋を封じることもあるでしょう。

だからといって、自分の心の中にあふれてくる感情を押し殺してしまっていいのか。

ヨン様ブームで湧くお嬢様方にその回答を見たような気がします。生活と感情は違うものだと・・・(ホンマカイナ)
感情を殺さずに発散する方法を見つけた彼女たちの「若さ」に女性の強さを見ます。

恋とは、自分の感情で自分自身が変わっていくと言うこと。恋は変なのだ。

おそまつ

2004年12月 2日

表フユソナ、裏失楽園

あ・・・ヨン様ですか。

すごいですねぇ、ヨン様ファンの女性陣。あのハマり方、さて、熱狂している世代のコアがどこなのかよくわかんないけど、けっこう年配の方も多いですね。

・・・なんとなく、ワニた的に思い出すのが失楽園ブームだったりして。失楽園は、不倫のはての腹上死が至上の愛よんってのがテーマで、オバサマどころかオジサマの共感も呼んだっけか?不倫がテーマの恋愛小説が日経新聞連載っていう点でも話題を呼んだけど、フユソナは純愛よね。正反対。つーことで、表フヨソナ、裏失楽園って感じもねぇ、するんだけどな。

だって、たとえいくら失楽園が作品的に質がよかったとしても、それはともかく人生変えるくらいにハマっても、テーマが不倫だからあんまりおおっぴらにコレガ好き!とは言えないもんだ。うん、やおい趣味みたいなもんだね。まっとうに作品が好き!はあるんだけども、おおっぴらにザックラが好き!とか、平コ!とか、ゾロル!とかサスカカ!なんていえません。同好の士には言えても、ご同類以外にはいーたくないし、言えないし〜。けどさ、圧倒的なキャラ依存の構造は、萌え、よね。

んで、フユソナ。純愛です。(セカチューと一緒ね)これ、誰もが懐古的ドラマよねって分かっちゃう。(わかんないのはそれを知らない世代だろーし)純愛だから、おおっぴらに騒いでも怒られない。
うろんな視線を浴びるのは、非道徳的、反社会的作品がな好きだからだからではなくて、その愛情溢れすぎる行動力ゆえだもんな。そー考えると、フユソナは安全パイです。
別に、アイドルグッズで部屋埋め尽くしたり、スギ様おっかけやってるおばちゃんだっているんだもんよ、いまさらじゃん?

ヨン様ブームは、今までにない韓流ってんですか?だからでしょ。ヨン様のどこがいーかわからん!とのたまう方々よ、じゃぁ、クイーンを世界で最初に評価し熱狂して向かえたのが日本女性だったって事実、どー考えんだ?いまでこそ、クイーンはドラマで使われたってんで再ブームになったけどさ。当時は、あの軟派なキラキラぴらぴらドレスアップなコスチュームとかで最初はキワモノ扱いだったじゃん。

ってことでですね、色んな面で欲求不満パワーを持てあましている年配少女達にビビっているだけのことでしょー。年配少女のお相手たるその元少年達は、結婚相手であっても恋愛対象じゃなかった、そんだけじゃん。
だからね、女性にとって時代と世間様に逆らってまで自分の人生切りひらくには、よほどの才覚が必要だったからさ、それが出来なかった多数派な人達は悲しいかな安全パイを選ぶんだって、ただそれだけのこと。
失楽園にはまれるほど倫理観ぶっ飛べない方々が、安心してはまれるのが純愛で、ついでに、いまの若い子は純愛がどーゆーもんかわかんないからはまる、そんだけでしょ。

いや〜、純愛ってほんといーですねぇ〜♪

ついでにいうとですね、アジア系の俳優さんはお肌が綺麗なんです。ハリウッドスター、どっちかってーと肉食ケモノ系のお肌なんだもん。デジタルハイビジョンに耐えられるお肌は、どっちだろー?


ゲストライター ワニた♪

2004年3月 4日

結婚について考えてみたりする

 いきなり「結婚」というものについて考えてみるのです。

 まず基本的な私の考えとしては「結婚とは制度である」ということですね。つまり「結婚」と「恋愛」は直接関係ないと考えています。恋→愛→結婚→出産・・・という進化論的な流れは幻想でしかありません。幻想でしかないものに実体を見いだそうとするからいろいろな混乱や悩みが生まれると思うのです。

 結婚制度はなぜあるのか、と考えるといろいろな意味はあると思いますが、それは「家系」とそれにまつわる既得権益を守るための道具であったり、女性を家に閉じこめて男性中心の社会に関わらせないための口実であったり、法治国家という大枠の中で誰の子供であるか?という事を戸籍で証明していくためのシステムであったり。。いずれも支配する側から便利な制度。いくら考えても恋愛というものの究極の形が結婚であるという結論には達しないのです。やはり原因は結婚が制度であるという事からでしょう。

 人間が結婚にこだわることをやめないのは、人間に唯一残されたともいえる本能、生殖行動を制度化することによって守ろうとする、一種の防衛行動であるとも思えます。子供を作るということは男女でしかできないこと、そして自分にとって一番ベストな相手をお互いに選びたい、これも本能。社会的な動物である人間はこの「ベスト」を決める際に「家系・血筋」や「宗教」「人種」まで条件に含めて考えてきました。

 しかし、社会の変革とともに「ベスト」の条件も変わってきました。ついには「異性」であることまで条件から外れてしまいそうですね。そうなると元々のこの制度の存在理由が意味をなさないものになってしまいます。なぜそんなことになってしまったのか。やはり恋愛の先にある究極の形が結婚であるという幻想が一人歩きしてしまったのかな。(一夫多妻、一妻多夫ってのも場合によってはありますがそれは結婚制度のルーツからは矛盾しませんね。)

 愛する人と結ばれて家庭を持つことは幸せなことです。でも、それを「結婚」すると定義しないで欲しい。結婚して社会的制度に認められることが幸せを約束すると言うことではないということを理解して欲しい。「結婚したのだから」という前提ではなく「愛があるから」家庭が幸せになってほしいな。

 そして、結婚をためらう女性・男性には結婚なんて制度のことは忘れて、誰かを愛することを追求して欲しい。男女同士でも、同性同士でも結婚なんてくそ食らえだ。愛だけがあればいいんじゃない?結婚は制度であり結婚式は通過儀礼。決してゴールじゃない。

 いろんな複雑な事情で結婚できない人もたくさんいるでしょう。でも、愛することだけはやめないで欲しい。子供を虐待したりDVなど悲しいニュースが続くからでしょうか。とにかくそう思うのです。


 

2004年2月24日

無限とゼロという関係

ある人に言われた事があります。

「みんな好き、って事は''誰も好きでない"のと同じだよね。」

その時は「?」が頭の中を飛び交ったのです。そして今になってわかってくることもあります。何が食べたいかと聞かれ「なんでもいい」と答えてしまう事なんかがあって「はっ」としました。それっておなかがすいてるだけで、何かを食べたいという意思じゃないよねって。

 みんな好きっていうのは相手を個人としてしっかり見ていないような気がします。誰でも好きということは誰でもいいと言うこと。個人がどうかなんてことが希薄になっていきます。「あなたが好き」という言葉の寄せ集めは「みんな好き」にはならない。なぜなら「まだ見知らぬ人を好きになどなれないから」。

ゼロという数字は数えてもゼロはゼロ。無限は数えることができないほど巨大な数列。どちらも具体的に数えることができないなら、同じ意味に見えます。

私は無限大の「好き」は持てないから一個ずつの「好き」をしっかり重ねていきたい。誰とでも仲良くなれる人ではなく、たくさんの人と仲良くなれる人になりたいです。

2004年1月26日

愛は与えるもの?

「愛とは与えるもの。与える喜びが愛なのだ」という月並みな事を酔った勢いで語り込まれた事があります。まあ酔っぱらい相手なのでずっと聞いてたわけですが。

 冷静に考えると「与えることができない人は愛せないのか?」って思っちゃうんです。表現だけの問題なのだとは思うのですが「与える」ってのはなんか高い位置から相手を見ているように思いますね。偽善っぽい臭いがする。悪意を持って与える人を感覚的に知っているからでしょうか?

 与えるって言葉の持つキリスト教的な響きが私の拒否感を生むのでしょうか?

愛とは、愛するという意思の事なんだって、今は思っています。

2003年12月27日

感情と意志と不倫

恋愛と愛と恋のこと(3)なわけです。

恋ってのは「感情」って書いたんだけど、それは「すき」「きらい」という様な感情だけでなく「かわいい」とか「きれい」という感情にも関連しているかも知れないって思うわけで、それは辞書的な意味にもそう書かれていますね。

 感情だから何歳になっても、たとえば結婚したって「恋」を感じることは人間として普通のことだと思います。そういう感情に男女間の差も年齢の差も無いんじゃないかな。きっと「恋」って感情が無くなることはないんだと思う。「恋心無限の法則」かね。

 じゃあ愛は?って事になるとそれは当然「恋」という感情が引き起こす「意志」なんだよね。「恋」という段階を経なくても「愛」は存在できるから、双方の間には絶対的な関係はない。「愛そう!」という強い意志だけが、結局それを継続するエネルギーになるのであるわけさ。恋は愛という意志を生み出すきっかけにはなっても、揺らいでしまう感情に愛を継続するだけの力はない。揺らぎが有ればそれが愛という意志の減衰につながってしまう。意志が大事なんだ。結婚したから自動的に愛されると思ってる人、愛は無限だと思っている理想主義的なおっさん(とは限らないが)は結局愛が減衰していく・・・。
 
 「不倫が許せるか許せないか?」って議論は、もともとそのお題目の立て方がおかしいとおもうよ。人を愛すること、人に恋する気持ちはいつだって存在するんだから。じゃあどんな題を立てるか。そうだなぁたりぽんなら「夫婦間における倫とは何か」だろうね。まず倫に反することを議論するには「倫」とはなにか?という基準問題を話し合うべきでしょう。「どこまでなら不倫じゃないのか?」なんて下世話なワイドショー的な議論ではなく、きっちりと「倫」をたて、それを守れないということはどういう事なのかを明確にしていかなければね。そうしないと不幸な思いこみで傷つく人が増えるだけだよね。

 恋する気持ちを封じられた人間は活きが悪くなるし、愛する意志だって減衰するよ。不倫を奨励する訳じゃないよ。お互いの愛の形を「世間体」とか「世論調査的倫理観」からではなくって、お互いにお互いのことを「どのように愛していくのか?」という「意志」ついて、この年末、こたつでミカンでも剥きながら、その愛のきっかけとなった「恋」の思い出とともに語り合ってはいかがでしょうか?

 

2003年12月22日

恋愛と愛と恋のこと(2)

続きはまた明日、なんて書いて寝たから書かなくっちゃね〜。まずはっきりさせておくことは言葉の定義。@NIFTY辞書でまずはひいてみる

「恋」
(1)異性に強く惹(ひ)かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち。
(2)古くは、異性に限らず、植物・土地・古都・季節・過去の時など、目の前にない対象を慕う心にいう。

「愛」
(1)対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。
(ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。
(イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。
(ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。
(2)キリスト教で、神が人類を限りなく深くいつくしむこと。
(3)〔仏〕 人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。
(4)他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。

うーん、改めてひいてみるとその境界線は微妙〜。「愛」(1)(イ)に「恋」とあるところを見ると恋は愛の一部を表現しているらしい。その双方に「慕う」という意味があるようなのでそれも調べてみる。

「慕う」(動ワ五[ハ四])
(1)恋しく思う。心がひかれなつかしく思う。思慕する。恋慕する。
(2)離れがたく思ってあとを追う。
(3)学問・人徳などを尊敬して、それにならおうとする。
(4)逃げる相手を追う。

ふーむ。証拠が多すぎて解決しない事件みたいになってきました・・・(^_^;)

さだまさし「恋愛症候群」によると「奪うのが恋」「与えるのが愛」と歌われていますが、これもある側面をうまくいいあらわしてますね。

なんか疲れてきたぞ。とにかく恋愛の問題はまず人間と人間の間のことに絞ってまずは考えていこうかな。とりあえず今日はこの辺で・・・。続きはそのうちということで。


2003年12月21日

恋愛と恋と愛のコト

寝床についてから標題のようなコトを考え出した。眠れなくなりそうだから携帯から少し思い付きを投げておこうって事です。
不倫についての独り言とかを読んでると、「その恋に踏み出さないで」とか「自分の愛に忠実に」とかいう言葉を目にするんですよね。でも、その前に愛とか恋とかいう曖昧な言葉をきちんと定義して進めないと、ただの乙女チックな感情吐露に終わりそうでもったいないなぁって思うんです。 たりぃ〜的に考えると「恋」は感情で「愛」は意志かなって。だから恋愛は意志と感情が合体して激しい現象になるんだろうかね。さすがに携帯からこれ以上書くのは疲れるから続きはまた明日。おやすみなさい