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2004年6月19日

映画キャシャーンについてもう一度考えてみるか

映画キャシャーンについてもう一度考えてみるかっと思いました。

で、いくつかのサイトを読みあさってみる。そして思ったのですが・・・あれって「反戦映画」だったのか?ってこと。

酷評しているサイトのほとんどが「反戦メッセージが強すぎる・しつこい・濃い」なんて書いてあるのですね。うーん。そうなんだろうか?メッセージが強烈だったのは、そう思いますが、反戦に偏っていたとも思えない。

映画のパンフには【「なぜ人は戦うのか?」という普遍のテーマをみつめようとしました。】という紀里谷監督の言葉がありました。

わたしはこの映画から「反戦」どころか「愛する人のためなら何でもする、戦争もいとわない」という「戦いがあるこの世界」を肯定するかのようなメッセージを感じました。反戦というメッセージは全く感じなかったんですね。原作のキャシャーンが「戦争の悲惨さを描いての反戦テーマ」ではなく「人類がテクノロジーの反逆を受ける」という実にSF的なテーマだったことをふまえて映画に望んだからかも知れません。

あの血を流しながらも愛する人を求めていく姿は実に女性的だなぁとおもっていました。現に、私の周囲でも女性の評価が相対的にいいような気がします。「ブライ萌え〜」みたいな評価をのぞいてもその傾向はあるように思えるのですね。

ある意味、映画キャシャーンは戦いを肯定すらしていると思います。だから反戦映画という判断をされればそりゃ駄作になるなぁと思います。

TVキャシャーンでブライキングボスが目覚めたのは「落雷」によってでした。それは環境汚染処理用に作られたアンドロイドが「天災」によって目覚める事によって人類と対峙する象徴的な出来事です。もし、人間により正常に起動されていたら人間は自らの過ちに気が付かなかったかも知れません。映画キャシャーンはそうしたTVキャシャーンの根底に流れるエッセンスをきちんと認識していました。表層のストーリーだけ見て「キャシャーンをわかっていない」と考えるのは早計でしょう。

残念な点はあります。紀里谷監督はもしかするとSFにはあまり造詣が深くないかもしれないなと思う点です。ES細胞の取り扱いとかもそうですが、端々でそう思えるシーンがありました。このあたりの消化不良がストーリーに無理を引き起こしていたのかなとも思えます。

はじめに戻りますが、「なぜ戦うのか?」というテーマを「反戦」と置き換えてしまわないことが、この作品には重要でしょう。ある意味、戦いのある世界を諦観してその悲しみや痛みを表現したのだとすれば、それは成功したのだと思います。

なぜなら映画キャシャーンを見て、「反戦」というレッテルを貼る以外には「痛みのある世界を諦観することに対する違和感」を払拭する方法はなかったわけですから。結局、けなしている人もほめている人も「見た人」であれば、何かを考えざるを得ない映画だったと思います。

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