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2004年6月12日

新鮮野菜と生ゴミの狭間

今日は手作り餃子でした。話題(?)のメニューという選択ではなく、すでに前回の買い出し時に材料がそろっていたのである意味タイムリーになっちゃいました。

しかし、生ゴミ餃子とはよく言った物で、この事件については情報が落ち着いた頃にまた言及しようとは思っています。一言、「安全でない食べ物は、すでに食料とはいえない」という事でしょう。

表題にも書いたとおり、そこで考えたのですよ「新鮮野菜と生ゴミの狭間」という問題。時々ですがキッチンに立って料理します。その時も思うんですよね。キャベツやレタスを刻んだとき、いったいどの瞬間からこれらは生ゴミになるのだろうと。

○刻んでいた野菜がまな板からはねて床やシンクに落ちた時
この場合は「洗っちゃえば使える」って事で生ゴミには至っていないですね。

○シンクの三角コーナーに入ったとき
毎日のように捨ててますので、腐った物は入ってないですね。この段階でも「洗っちゃえば使える」部分であればまだ生ゴミには至っていないですね。

○シンクの排水穴に落ちた場合
この場合はさすがにきわどいですね。皮を剥く前のジャガイモ等を誤って落とした場合は復活可能。生ゴミ率は95%ですね。

部位別に見た場合も「にんじんや大根の皮を食べる方法はある」という事なので、食べようと思えばほとんどの部分は食べられる。

こうして、生ゴミについて考えると、意外に家庭の段階では排出を防ぐ事が出来ますよね。生ゴミ餃子の材料になった生ゴミ食材のいくつかは「大量生産の工場では生ゴミ」なわけですが「家庭の台所では有効活用できる」ものでもあるわけです。大量生産の効率を追い求めた工場では、皮肉にも材料利用率は低下している。

 やはりその差は「愛」ですね。工場では「生産」されているメニューも台所では思いを込めて料理されているわけで、不衛生きわまりない工場は決して我々の台所では無かったと言うことです。管理体制や検査態勢の不備を嘆く前に工場の「愛」のなさを一番情けないと思うのは私だけでしょうか。

「新鮮野菜と生ゴミの境界線」は人間の食材に対する「愛」の境界線でもあるように思えてなりません。

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