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2004年3月 2日

生きるということの痛み

鯨問題にきんちゃんさんからコメントやTBを頂いて、そのまた先の記事などを読んで想いを強くしたことがあります。

思えば、今年の新年に書いたエントリーなぜ人を殺してはいけないか?というonoさんの記事にトラパったのがはじまりで,いろいろと考えてきたことでもありました。

 鯨にしても牛にしても個別の問題を追いかけていくと迷宮に入っていくことが、あることを認めることによってすっきりとシンプルになっていきます。それは人間も動物であって、食物連鎖の一部でありその因果律の中に組み込まれているということ。動物を殺して食べることは決して「かわいそう」な事ではなく命の鎖をつないでいく必然なのだと言うこと。

 私たちは、縄張り争いの殺しあいをし、動物の命を奪って自分の生を長らえている。それが生きると言うことのバックボーンにある事を知っていなければなりません。殺しもない、すべての動物が平和に仲良く暮らせる天国に住んでいるわけではないということ。そのことを強く知っていなければならないと思うのです。食物連鎖の業は人間だけのものじゃない。

 生を長らえるため以上の殺生を粛して鎖の輪を意識して生きていくことが、平和への未知ではないかと思うのです。人間が自然をコントロールして「守ってあげる」などというのは実におこがましい。奇跡で人間を救う神など実にうさんくさい。なにか、もしくは誰かを傷つけずには生きていけないからこそ、傷つけた相手のことを思いやる事が、自然の調和なのではないか。

 そんなふうに思いながら、私も毎日大量の電気を使い、今日も肉や魚を食らうのでした(笑)

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心と体」カテゴリの記事

コメント

はめまして、faceと申します。アウトドアが好きで釣りとか、たまにやるんですが、私は釣った魚を必ず自分でさばいて、調理してたべます。さすがに、さばくときは、血がドバーっと出たり、かわいそうに思います。でもこれが本来、「食」することなんだなと、そのとき実感として解ります。現代社会は分業化が進み、「食」することの意味を実感できなくなってるんだと思います。だから「食」に対して感謝も何もない。昔は自分の家でも、鶏を飼っていて、卵を産まなくなった鶏をオヤジが首をひねって殺すの見てました。そしてその鶏を調理して家族みんなで食べていました。「あー、食べると言うことはこういうことなんだな」と実感する瞬間でした。

それから石垣りんという人の『くらし』という詩を思いだしました。ずーっと前に恋愛のこと書かれてませんでしたか? そのとき何かコメントしようかなと思いつつ今日まで来てしまいました。それでは、また。

コメントありがとうございます。

最近の加工食品は材料がいったい何だったのかわからないものが多いですよね。だから、命を食べているんだという事がわかりにくいんじゃないかな。牛丼屋やハンバーガー屋なんかは「牛供養」でも大々的にしてはどうかな(笑)

恋愛についてはちょっとだけ書いたことがあります。カテゴリーから「恋愛」をクリックで出てきます。また気が向いたらコメントお願いします。

勢いあまって この記事に(笑)

記事、するっとまるっと全面的に賛成です。

でイノセンスネタですが 押井は逆サイドから人間も人形(ロボット)もペットも共生だろ?と言うわけですよね。

殺すと共生は思想として同じ地平。

あ~~ん、やっぱりもう一度 アップルシード待ちまでの間に(ニガワライ)、見に行こうかなぁ。

onoさんどうも(^_^)

こちらのコメントからのはみ出しって事でありがとうございます。

ロボットとの共生ってのは、なんかまとまっていない想いがあって、機会があればまた触れたいテーマですね。アップルシードは期待せずにはいられませんね〜。

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たりぽんさんの「ウォルマートと西友と鯨」に私がトラックバックしたところ、 再びたりぽんさんが「生きるということの痛み」と題してトラックバックをくれた。 [続きを読む]

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