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2004年2月 5日

主人公

気づいて欲しかった。小さな物語に触発されて

人は一人では生きてゆけない。そんな当たり前のことがいつも人を悩ませるんですよね。

自分の世界を小さくしてしまっている自分に気づかない人。自分以外の人と自分との関係が「ない」と思ってしまっている人。そんな人が多いんじゃないかな。会社と家の単純な往復。囲い込まれたムラ(会社とか近所とか学校とか・・・)のなかに限定された人間関係。

誰もが「他人に興味が持てない」と自分の勇気のなさを正当化してみたりします。きっと誰かがいつか自分を見つけてくれると、ファンタジーの世界で迷ったふりをしてみます。でも、本当は気付いてるはずなんですよね。「自分の人生の中では、誰もが皆、主人公」だと。痛みもあるリアルな世界に生きているんだと。

人とのつながりって何でしょう。誰かとコミュニケートすることかな。電話もない昔は常に会っていられる人以外とは手紙での連絡しかありませんでした。だから相手とのつながりは「自分の中の想い」に大きくゆだねられていた。だから出会いを大事にしたし、深く慈しむことができた。

今はどうでしょう?コミュニケーションは「即時性」を求められ、距離はテクノロジーによって埋められてしまいました。「今」だけが重視され、他人を慈しむ時間すらないほど追いつめられていく。人とつながることに疲れてしまっても、自分の想いの中に誰もいなくなってしまった。

それでも、誰かの心の扉をノックし続けることは大事なことですよね。こうしてblogに自分の何かを書き付けていくことで、いつの間にか誰かとつながっていく。即時性を必要としないコミュニケーションの形。迷っている自分こそ、自分そのものだという確信。

あたりまえに生きる事の難しさを痛感します。あたりまえという曖昧な生き方に迷うんです。でもいつか誰かを気付いてあげられる自分に気付くはずです。フラクタル、そう私たちは大きな森に生える一本の木。隣り合った枝をふれあいながら生きていくんですよね。

なんて、ふと考えちゃいました。

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