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2004年1月26日

愛は与えるもの?

「愛とは与えるもの。与える喜びが愛なのだ」という月並みな事を酔った勢いで語り込まれた事があります。まあ酔っぱらい相手なのでずっと聞いてたわけですが。

 冷静に考えると「与えることができない人は愛せないのか?」って思っちゃうんです。表現だけの問題なのだとは思うのですが「与える」ってのはなんか高い位置から相手を見ているように思いますね。偽善っぽい臭いがする。悪意を持って与える人を感覚的に知っているからでしょうか?

 与えるって言葉の持つキリスト教的な響きが私の拒否感を生むのでしょうか?

愛とは、愛するという意思の事なんだって、今は思っています。

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コメント

たりぽんさん、またまたコメントしてしまいました。
私の好きなウォルトディズニーの言葉で
『与えることは最高の喜びだ』という言葉があります。
与えること、それは、愛だと解釈しています。
でも、これは日本語に直訳したものなので、与えるという言葉は、たりぽんさんもおっしゃっているように、高い位置から物を言っているようにとらえられるかもしれませんね。
でも、ニュアンス的には、悪意も偽善もないと、なんとなくわかるんですけど・・・
『与える』という言葉以外に、たりぽんさん流で、何かいい言葉はないでしょうか?

Aliceさんコメントありがとうございます。

「与える」を言い換えるのもまた難しいですね。与えるというのもあるかとは思いますが「支える」とか「見守る」とかいろんな形があると思うんですよね。まだうまい答えはないです(^_^;)

愛は、愛する意思があるかないか・・・・
まさに、それだと思います。
でも、意思がないのに言葉で惑わすことは、ルール違反だと思いました。
愛、と一言で言ってしまえば、簡単なんですが、その中には、いろんな意味、支えるも含まれれば、見守るというものも含まれ、大事にするとか、そうゆ~ものも、た~くさん、入っているんだと思います。
でも、それが、偽りだったときに気づいたときは、
その人すべての人格まで、疑ってしまうようになりますね。
なんの目的があって、近づいてきて『ず~っとそばにいて守ってあげるから安心しな』と言ったのか、理解不能になりました。
心では想ってもいないことを口にだし、信用させ、あげくのはてに手のひらかえたように、人を傷つける言葉や行動をとる。
彼の私に対してのよかれ、と思ったことと、私の思っていたことが違っていたので、それで、口論になってから、急変しました。
これには、とても、びっくりしました。
こんなすれ違いで、すぐに愛がさめるものなのでしょうか?
もともと、愛なんてはじめから、なかったのかと思ったりもします。
私も、過剰評価しすぎていたと思いました。
もう少し、疑ってかかるべきだと思いました。
でも、私としては、十分、疑ってかかったんですが・・・
人を信用するのに、時間がかかる人なので・・・・。
人を見る目がまだ、養われていないのかもしれません。
ただ、私たちの周りには、共通する多くの友達、共通した仕事関係もあるので、これから、いろんなことで支障をきたすことがあると思うと、憂鬱でしかたありません。
こんなことになるなら、個人的感情は、抑えるべきだったと、後悔もしています。
せっかく、たりぽんさんが、はげましてくださったのに・・・・。
残念な結果となりました。


Aliceさん、こんにちわ。

そうでしたか。なかなか言葉で人を信じる事なんて出来ないですよね。わたしもそうです。やはり人を見るときには言葉でなく行動を見ますよね。言動って言葉もあるように行動に言葉がどう乗っかっていくのかが、その人となりをあらわすのかな?って思うんです。

なんでもそうなんですが、作用・反作用があって、人を疑う人は同じ分だけ疑われるし、憎んだ分だけ憎まれるものだと私は思っています。達観するわけじゃないけど、そういうものだ、と思って、それでも人を嫌いになったり、疑ったりしてしまうんですね。でもそれも含めて自分なんだと、納得しています。

だから、彼の人格を疑ったりしないであげてくださいね。きっと表現や、あなたへの思いが先走ってしまい「二人で」というスタンスにまで到達する前に存在する壁にぶち当たってしまったんだと思いますから。そしてそれに背を向けようとしている。

ひとと人の距離感って本当に難しいですね。もっともっと時間があればいいのですけれども。

たりぽんさん、こんにちは。
昨日は、思いあまって、こちらに書きに来てしまいました。
言葉や行動を、よく観察していたつもりだったのですが、
だから、この人なら、大丈夫であろうと、判断したんですけど、
その判断が間違っていたのだと思います。
お互いに共通することが多すぎて、今、仲間の間で、もめていることがあります。
これは、結局、私たちがリーダー的存在だったからです。
私個人としては、自分の判断を間違えただけと、もう、あきらめていますが、私たち二人のことが原因で、仲間も、もめてしまったという事に、どうしようもないくらい、苦しくてつらいです。
彼を攻めるつもりは、毛頭ないんですが、冷静に話し合うという機会を作ってくれないので、この仲間のもめごとも、解決にいたらなくて、個人的なことで、仲間までまき沿いにしてしまったことが、
一番苦しいです。

Aliceさんこんばんわ。

周囲を巻き込んでしまうという状況は辛いですよね。そうなったときに気を付けないといけないのは「ぶれない」こと。Aliceさん自身の言動に揺らぎがあると、ますます周囲を巻き込んでしまいます。辛い現実を見据えても、なお着地点をきちんと持つことが今後のために重要ですよ。

それは、とっても辛くてきついことですが「神様は乗り越えられない者に試練は与えない」という言葉もあります。苦しくても、救いは自分の中にあると信じて進みましょう!

たりぽんさん、こんにちわ。
なんだか・・お悩み相談室みたいになってしまって・・
申し訳ありません。
でも、何かここへ来れば、今後どうしていったらいいのか、
わかるような気がして・・・。
「神様は乗り越えられない者に試練は与えない」
今回のことにしても、これからの人生においても、
試練や困難がおとづれたとき、この言葉を思い出し、
しっかり、自分の足を地につけて、歩いていきたいと思います。
確かに、私の言動や態度は、みんなを不安にさせました。
必ず、この仲間のもめ事は、解決させます。
何度となく、お返事いただきありがとうございました。
たりぽんさんのおかげで、はじめの一歩が踏み出せそうです。
また、この次は、楽しいお話を、たりぽんさんとしたいです。

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