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2004年1月 1日

新年だから2003年を振りかえる

たりーず・ふぁいるにスクラップされる2003年はどんな年だったか。

個人的にはいわゆる「イラク問題」ってのが関心事のひとつだった。藤原新也の「アメリカ」に書かれていた印象(の一部)がそのままこの問題に関わっているように感じたし「東京漂流」で指摘されていた日本人の未来が、そのまま今の「自衛隊派遣問題」に関するマスコミの報道姿勢に重なっていて、実になんだかなぁ状態。できることならばそれらはすべて裏切ってほしかった事なのに。

 日本人がテロを受ける可能性とか対策なんて遙か昔「ペルー日本大使館占領事件」でもっと深く議論しておくべきだったのだ。あの事件は何だったのかと。日本人はほんとに「日本国」という肉体感覚を忘れてしまっている。これは個人が肉体感覚を忘れてしまっている事と「自己相似性」を指摘したい。

 日本国という肉体感覚を持て!というのは産経抄などでよく書かれている「愛国心」とはちがう。2人の外交官が殺されたときに感じなければならなかったことだ。それはもちろん命が失われたことに対する哀悼の思いであるのは当然だが、じゃあその次は?「戦争は人が死ぬ・危険だ・日本は関わってはいけない・誰が責任をとるんだ・・・」といった事ではいけないんじゃないかと思う。(もちろん、それぞれの立場でそれぞれの主張は正しくもあり空しくもある。)

 自分たちが住んでいる日本国という国が「痛みのある世界」に存在していると言うこと。

それを感じることが重要だったんじゃないかと思う。たとえばBSEで話題になっている牛のために使われてる飼料の穀物生産を人間用の穀物生産に振り替えたらどれだけの人の食料がまかなえるんだろう?別にそれをしろって訳じゃなくって、自分たちが牛肉を食べるって事が、もしかしたら他人の食料を奪っているかも知れないって「知っていること」が肉体感覚だと思うし、現実は「痛みのある世界なんだ」と認識しておくことなんだと思う。

 想像力の羽をもう少し広げて普段当たり前のことが本当に当たり前なのかどうか、この正月休みの間に少し考えてみるってのも、何十回迎える正月の中で一回ぐらいあってもいいかな。

 2004年はそんな想いも胸に抱きながら、自分の生活を守るための戦いもしなければね。みんながんばって生きていこう!!

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