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2004年1月31日

天空のひつぎ&銅鼓

NHK地球に乾杯「中国天空のひつぎ」を見ました。三峡は一度だけ船で下りましたが、よもやそんなものが断崖にあるとは思いもよりませんでした。

 番組に出てきた「銅鼓」ですが、中国南方の少数民族(といっても1,000万以上の人口の民族もいるのだが)の文化を象徴する楽器です。チワン・プイ・ミャオ・ヤオ・イ・トン・スイ・ワ族などが、銅鼓を持つ民族とされています。宗教祭祀に使われていたが、最近はもっぱら祭りを盛り上げる楽器として使われるのがほとんどらしいです。

 番組では銅鼓について深くふれていなかったけど、実はすごく深い問題があります。それは青銅器文明とのつながりの問題とか、もともとは炊飯に使われていた=稲作文化と関係が深い・・・などなど。

 番組で出てきたスイ族(水族)は人口は30万人以上。族源は秦漢以前の百越のなかの「駱越」だと言われています。隋唐の頃までは焼き畑を営んでおり、宋代ころから水稲を栽培。水族という名称は明代の文献にはじめてみられるそうです。

 番組で紹介されていた棺の分布図を見ているとミャオ族にも関係ありそうな気がしたんだけど、根拠はなし(^_^;)ちょっと興味を持ったのでそのうちもっと詳しく調べてみます。

ドキュメント・エルサレム

今日のNHKスペシャル「ドキュメント・エルサレム」前編ですが、なんというか「今必見」の番組だったと思います。見逃した方は再放送を要チェックです。

イスラエルの新しい地図を作るエピソードの紹介はなかなか考えさせられました。まさに「歴史」が国家に必要とされた現場だったからです。

いろいろ思うことがあるのですが後編を見てからまとめてみたいと思っています。

バファローズの名前が・・・(近鉄、球団命名権売却へ)

05年は「○○バファローズ」 近鉄、「命名権」売却へ

 ひえ〜。あやめ池遊園地を閉園すると思ったら、今度は「球団名」売却ですか?うーん。まあ、そもそも貧乏球団だからしょうがないのかもね。ただ、すべてを売却して新しい企業が1から運営をするよりも、運営をビジネスとして名前で稼ぐという方向は考え方としては面白いな。

 ASAHIとかFUJIとかが名前を買ってばんばん放映すればパリーグ全体に面白い影響があるような気もするな。名前だけの問題じゃなくて、もっと野球界にいい方向に働けばいいけどねぇ。このニュースで近鉄の知名度がどのくらい上がるんだろうか?

 まあ、名前がどうなろうとも大阪の球団である限りは応援しまっせ!

【勝手に関連リンク集】
05年は「○○バファローズ」 近鉄、「命名権」売却へ:pblog
新しい名前で出るのですか?:Walking In The Street 2
近鉄も消えるのか?:Issey's Essey - From SAPPORO
近鉄がバファローズの命名権を売却へ:てつおのあれこれいろいろ
猛牛の名:つねのとおり

このニュースに関する「間違い」も知っておきましょう(^_^)

近鉄、チーム名を売却へ:ヤキューウェブ別館
近鉄、球団名売却:ひげいとうblog

タイガースファンの方からのお言葉。共感の部分あり。
近鉄、球団名売却へ:いがちょの雑談

<アップデート2004.2.1am11:10>

今日の産経新聞報道でのファンの声「他に売るもんなかったんか?」。わはは、同感同感。以下追加リンク。この問題は個人的な興味でウオッチし続けます(^_^)ちなみに「バッファロー」じゃなくて「バファロー」が正解ですよん。

名は体を表す:DARADARA ROCK・確かにファン無視はいかんですね。
バッファロー・バファローズ:たなぼた・バッファローズ・バファローズ・・・略してBBかな。
近鉄が近鉄でなくなる?:その2:unzuのマスター的日記
バッファローズ:駄目箱大阪サンヨー・バファローズなんてありえそうでしょ
てっくたんより:大阪の耳はロバの耳タカタは九州の企業だからなぁ・・・
命名権:北川宣浩-今日の出来事-

<アップデート2004.2.1pm18:10>
まだまだ反響がアップされてますね。
近鉄が球団名をネーミングライツに:もぐたんのマリーンズ伝説
“馬を牛に乗り替える”年間36億円の観光PR!?:… 結茶場 Me家…フランチャイズは大阪ドームだから・・・ちょっと無理かも

<アップデート2004.2.5 たぶんこれで最終アップデート>
冷静な意見が寄せられています。
私は社会派プロ野球ファン:english_breakfast
「ファンの多くは大阪にバファローズがあるだけで充分なのではなかろうか。」納得です。
ネーミングライツ(近鉄の場合)。:広告業界就職ノススメ。
ほんと、法学部の試験に出たら面白いですね・・・

1988.10.19 ロッテ対近鉄:Walking In The Street 2
やはりとどめはこれでしょうね。今年もバファローズを応援しましょう!おつきあいありがとうございました。

あなたのバファローズ度チェック!


アニメの実写化って??TB

■アニメの実写化って??トラバ募集します

って事なので思うところを。あらためて考えるに、昔からよく似た問題提起が続いているように思うんですよ。小説の実写化・アニメ化、コミックのアニメ化・実写化・小説化、実写のアニメ化、ゲームの実写化・アニメ化などなど。それぞれによく似た議論構造がありますですね。

 大きな意味で「原作付き」と考えれば「アニメの実写化はあり」だと思います。名作と言われるもののリメークは制作者側にもリスクが多いと思うのでやる以上は原作を超えるクリエイティブなものを作って欲しいと思いますね。キャシャーンの予告編なんかはなかなか「好き」な感じですが。

 映像文化の発展のために「原作原理主義」に陥ることなく様々なチャレンジがなされることを期待しています。リメークが「くそリメーク」だったら、その時に「原作はやっぱりよかった」と思い出に浸るという楽しみ方もいいと思うんですよね。

<追記>2004.02.01am8:45
 キャシャーンに関しては「超破壊光線」がどのように実写化されるのか?というところで期待しちゃったりしています。派手にぶちかまして欲しいですよね!わはは


2004年1月30日

もうすぐキャンプin!

プロ野球、キャンプインの季節がやってきましたね(^_^)

さて、我が愛する大阪近鉄バファローズですが、狼主が抜けてしまい、波動法を失ったヤマトのようになってしまいました。去年は一昨年より投手力がまともになって嬉しかったので、この攻撃力ダウンは痛い。痛すぎる。

 かといって「機動力野球」などに転換して近鉄らしさを失って欲しくない。キャンプでは投手以外は毎日10000回素振りして巨人とは違う方向で「全員4番打線」を目指して欲しい!(素振りだけじゃだめだって(^_^;))ついでに「送りバント」とか「四球を選べ」とかいうサインを廃止してダイナミックな攻撃を見せて欲しい・・・などというのは個人的すぎる意見ですが・・・。

 今年もダイエー・西武と三巴の戦いを演じてパリーグを盛り上げて欲しいです。GOGO!バファローズ!

マウンテン・パーカー

 私がマウンテンパーカーを防寒着の定番にしたのは、高校を卒業した1984年頃からでした。当時はシェラデザインの60/40のパーカーが欲しかったんだけど結構高くて、一番最初に買ったマウンパは「キャンプセブン」というブランドの55/45のものでした。近所のディスカウントジーンズショップで9,800円でした。しかしこのパーカー、機能的にはしっかりシェラデザインのものを勉強しており背中のポケットも、各所のコード類も非常によくできていました。結局大学を卒業するまでの数年間つきあいました。

 就職してお金も多少できたので、ちょっといいマウンパを買おうと思ったのですが、シェラデザインの60/40はコモディティ化してしまっておりましてちょっとぱすでした。そこで手に入れたのがウォーラスというブランドのマウンテンパーカーでした。ウォーラスはシェラデザインズ社をスピンアウトしていた創業者マーク・スワンソンとボブ・ジェームスが興した会社でした。F&Sという雑誌で紹介されてたのをチェックしてショップに見に行きました。これがまた素晴らしい出来なんです。シェラの60/40を正常進化させたマウンテンパーカー。とにかく気に入ってしまいましてこれにしました。モンベルとかも考えたのですが、他に着ている人がほとんどいない!というのが最高にすてき!っていう最終判断でした。

 とにかく、それ以来すでに10年以上そいつとつきあってきたわけですが、いよいよあちこちにカギ裂きなどが発生しておりそろそろ買い換えかな〜って思っています。ウォーラスというブランドは今はなく、次に買うブランドを物色中なのであります。

 早くしないと冬が終わっちゃうんだけどね・・・いまだに検討中。このまま春を迎えそうです。

 

2004年1月29日

花ならば

花ならば

話し相手もいない
岩だらけの黄色い砂漠

高名な歴史学者も
優秀な地球学者も
天才的な物理学者も
知り得ない、絶対的な秘密を
地下水に抱かれた砂礫層の中にとじこめて

花が空ばかり見つめていたのは
誰かのための歌声
あの三日月と星を掲げる塔から流れでる
神へ捧げる歌をきこうとしたから

どうしても砂漠とずっと一緒にいたいなら
この身の全てを朝の雨にかえて
そそぐよりほかに
花には思いつかなかったから

れふと・あろーん

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昨日は飲み過ぎました・・・。(SO505isにて撮影)

2004年1月28日

タンポポ紳士録(5)

アカミタンポポ(Taraxacum albidum Dahlst.)

街で見かける小型の外来種のタンポポは西洋タンポポでない場合が多いようです。

ヨーロッパからやってきた赤褐色の種子を持つアカミタンポポは、歩道のタイルの隙間や、 花壇のわずかなスペースにしっかりと根を張りたくましく花を咲かせます。みなさんも、早足で歩く足下の、アスファルトの隙間に咲く小さなタンポポに出会ったことがあると思います。田畑や野原を捨て、街に咲くタンポポ。私たちはアカミタンポポのように街の雑踏にまみれて過ごす。どこかで何かをあきらめて いるのでしょうか。こんな生活も悪くないよと自分をごまかして。

でも、そんな小さなタンポポでも、夢見るときはその種を風に乗せて遠くへ遠くへ運ぼうとします。たどり着く場所に土があるとは限らないことは知っていても。それでも実をつけ、綿毛を広げます。

私たちも、あきらめることなく夢の綿毛を風に乗せて遠くへ飛ばしましょう。きっと、どこかにたどり着くと信じて。


今日はぼやくよ

今日は同じ社屋の別部署責任者の送別会&新年会でした。

いつもは私が感じで「酔い/コスト」の高いところを予約するのですが、今日は別部署の幹事慣れしていない人がセッティングしたんですね。まあ7500円の会費を払ってカニ料理と聞けば少しは期待したんですが・・・おいおい、訴えて勝つよ!って言う感じですよ。しかも飲み物代が別だって?ほんとコケシにしてやる!


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(写真はパソコンのモニターを90度傾けてご覧ください)

あんまりなんで、ここでの飲みはそこそこに切り上げ、会社の近所の焼鳥屋で飲み直し。割勘で一人あたり1102円でかなり酔えました。

あの7500円は何だったのか。悔いの残る夜でした・・・

2004年1月27日

歴史原理主義者だね

みそがいの防戦一方 『新選組!』と史実を読んで、コメントしようかと思ったけど話が広がりそうだったのでトラックバックします。

 「史実」いわいる「歴史上の事実・真実」って事だと思うんですが、「歴史」の大きな前提に「文字で書かれたもの」ってのがあります。歴史とは文字で記されるものなのです。だから、文字なかった(現在の認識では文字と見なしていない別の方法で記しているかも知れないけれど)文明の歴史は「史実」としては語られることはないのです。

 つまり、文字で書かれていること以外の事は別分野の社会科学(考古学や地理学など)の成果からの推測に過ぎません。つまり「真実だけを伝えている歴史はない」ということなのです。ドラマであるとはいえ『新選組!』は歴史の一解釈であっていいはずです。もっとも、求めているものがエンタテイメントであるのだから「歴史学」という学問からはちょっとはずれますけどね。(時々、考古学は歴史学だと思っている人に会いますが、近しいけれども違う学問ですよって言うと、なんだか怒られますがなんで?)

 で、先の記事にあった「失望した」という人は何に失望したんでしょうね。私はそれを考えると恐ろしくなります。大げさに言えば「北朝鮮で教えている世界史と、日本で教えている世界史が違うから日本に失望した」というのと同じ文脈に思えるんです。まあ「失望しちゃいけない」とは言わないですけどね。

 歴史というのは真実を伝えるものではありません。文字に記された歴史が真実だと信じ込むことの恐ろしさを我々はイヤと言うほど、その例を知っているはずなのに。本当の歴史というものはありますが、それが真実とは限らない。歴史とは一種のパラダイムでもあるんです(大化の改新を蘇我氏側から見た歴史で記した教科書がないのはパラダイムとしか言いようがないでしょう)

 歴史が好きで、ある人物が好きで、そのことは誰よりも詳しいという人がたくさんいます。だけど、歴史原理主義には陥らないでほしいのです。あらゆる解釈を受け入れる柔軟性を持って欲しい。そう思うのです。
 
んで最終的に何が言いたいか。『新選組!』の解釈はワタクシ的には「あり!」です。いけませんかね?


2004年1月26日

寝る前に気分が変わって・・・

CSSファイルってものをいじってみました。といっても色を変えただけですが。
もっとデザイン的にはいじれそうだなって思ったけど、これが私の限界かな。「たりーず・ふぁいる」の題字だけでもかっこよくしたかったけど面倒なのが先に立ってだめですね。

また、朝起きたら気が変わってしこしこ作るかも知れませんが・・・

タンポポ紳士録(4)

シロバナタンポポ(Taraxacum albidum Dahlst.)

 いつも彼女と出会うのは、山の裾野の空き地でした。花の咲くシーズンに訪ねると、美しい白い花を木漏れ日の降る道ばたに輝かせています。ちょ っと大柄な姿、薄い緑色の葉っぱをコーディネートするセンス。群れることなく咲くその姿がとてもりりしくて好きでした。

しかし、その美しい姿とは裏腹に、彼女は単為生殖で種を作るタンポポ。

孤独な愛だけを慈しんで綿毛を旅立たせる、そんな悲しさが彼女の花びらを白くしてしまったのかもしれません。

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愛は与えるもの?

「愛とは与えるもの。与える喜びが愛なのだ」という月並みな事を酔った勢いで語り込まれた事があります。まあ酔っぱらい相手なのでずっと聞いてたわけですが。

 冷静に考えると「与えることができない人は愛せないのか?」って思っちゃうんです。表現だけの問題なのだとは思うのですが「与える」ってのはなんか高い位置から相手を見ているように思いますね。偽善っぽい臭いがする。悪意を持って与える人を感覚的に知っているからでしょうか?

 与えるって言葉の持つキリスト教的な響きが私の拒否感を生むのでしょうか?

愛とは、愛するという意思の事なんだって、今は思っています。

2004年1月25日

タンポポ紳士録(3)

セイヨウタンポポ(Taraxacum officinale Weber)

セイヨウタンポポをを明治以降、文明開化とともに入ってきた侵略者であるかのようなイメージ を誰が植え付けたのでしょう。在来種と外来種のタンポポ戦争などという言葉こそがその誤解を大き くしているのではないでしょうか。

彼らは不毛の大地に入植する希望にあふれた冒険者のようです。彼らが、求める土地がただ在来種に適さない荒れ地だっただけにすぎません。 もともと在来種の生育できないところでセイヨウタンポポは花を咲かせることができます。在来種の生息地を奪ったのは人間。

セイヨウタンポポは無配生殖です。つまり花粉を受容することなく結実します。だから昆虫な どに頼ることなく自分の分身を生み出す種を次々に生み出すことができるのです。また 条件がよければ年中、花を咲かせることができます。まるで愛による生殖を否定するかのように・・・。

 彼らはタンポポ種の誇り高き戦士なのです。誰よりも遠くへ飛ぶための軽くて小 さな子房と軽い綿毛。在来種のように休眠しない種。次から次へと人間どもの切 り開いた空き地を黄色い花で埋めるため、風に乗って誰よりも遠くへ、タンポポ の意思そのもののように遠くへ遠くへ。

 いったいなにを追って高く飛ぶのでしょうか・・・それとも、なにかから逃げようとしているのでしょうか。

 彼らの綿帽子を見つけたら、できるだけ高く掲げて強く吹き飛ばしてあげてください。遠くへ、遠くへ飛んでいくように。

朝起きたら気分が変わって・・・

おはやうございます。
朝起きたら、なんだか気分が変わりました。なんだろう?この変化は。
そうか!「俺は昨日までの俺じゃない!今日の俺だ!」(炎転風に)

ということで、無地から清流ってやつにスタイルを変えてみました。スタイルの選択肢が少ないよなぁ。スタイルをいろいろ自分で変えておられるところも多くなってきましたが、そこにエネルギーを費やす事ができないでいる私。

はやくスタイルの選択肢が増えることを願っております。
(さっき誤変換で出た「青龍」って感じのスタイルがいいなぁ)

2004年1月24日

あやめ池遊園地をしのぶ

あやめ池遊園地の閉鎖が決まっちゃいましたね。もう、夏休みの子供を迎えることもないんですね。

奈良に住んでいたときは、風景の一部だったので無くなってしまうのはとっても残念な思いがします。時事代の流れと言うことでしょうがないのかも知れませんが。車で行きやすければもう少し延命できたかも知れませんが、それもあの立地では難しいことですね。

コークスクリューコースターができた時は乗りに来ましたね。そうそう、あやめボウルには学生時代しょっちゅうボウリングをしにきていました。あの心なしかデコボコのあるレーンが懐かしいです。桜のシーズンには営業車でよくそばを通りました。奈良県唯一の動物園もありましたね。もう思い出の一部に刷り込まれているので、なくなってしまうのは本当に寂しいです。

住宅地になったとしてもできるだけオープンなスペースを残して欲しいです。住宅地にしないで都心にあるキャンプ場(オート可)とかにしたらどうでしょうか?週末キャンパーが大挙押し寄せて結構繁盛すると思うんですけどね。だめかな?

【あやめ池遊園地をしのぶココログ】
旅鳥の眼 近鉄・あやめいけ遊園地を閉鎖
ぴかのひとかけら あやめ池遊園地閉園決定


フォルクローレを聴きながら

私のパソコンデスクの上にはPowerMAC G4とアナログレコードプレーヤーが仲良く鎮座しております。別にアナログ音源をパソコンに取り込もうと言うことではなく、たまたまスペースの関係でそこに並んでいるだけですが、なんだか面白い構図です。右脳にデジタル左脳にアナログって感じで。

今聞いているのはフォルクローレ。アントニオ・パントーハって人のアルバムなです。まあ名盤でもなんでもないのですがふと思ったことがありました。

それはケーナの奏法なんですが。きっちりと音を出さずにわざと空気を抜いたようにして吹く部分があるんですよね。これって西欧の楽器の奏法でもあるのでしょうかね?たぶん雑音にしかならないんじゃないかな。

こうした楽器の奏法にも文化的な特色があるのかなってちょっと思いました。

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タンポポ紳士録(2)

カンサイタンポポ(Taraxacum japonicum Koidz.)

  西日本で見られる在来種のほとんどがこの種類だと思っても良いでしょう。在来種 の代表選手。野に咲く彼らの姿を誰しもが知ってます。田んぼのあぜ道に肩を寄せ合って咲く小さな黄色い花。カンサイタンポポはほとんど群生した姿で咲いています。

これは在来種の大きな特徴のひとつでしょう。種が比較的大きく飛翔力にかけるため群生する 傾向があるということに由来している特徴です。けれどもこれは欠点ではなく、受精に必要な虫たちを効果 的に利用するための自然の工夫なのです。

在来種のタンポポは、そのほとんどの種が花粉による受精が必要です。たくさんの花が同時に咲くことでより多くの虫を寄せて受精の手助けをしてもらう。タンポポは種を飛翔させて遠くの地を目指しているかのようですが、カンサイタンポポは比較的近くに種を落とすことで群生しその種を増やしてきました。

本当に遠くへ旅した種子は、どんなタンポポにもまけない苦労をして新しい群生を作るのでしょうね。

近所で火事のようです

9時頃から消防車のサイレンがうるさいので外に出てみると・・・
火事のようです。時折、炎が上がるのが見えます。
みなさん火の元には気をつけましょう。
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タンポポ紳士録(1)

(1)カントウタンポポ(Taraxacum platycarpum Dahlst.)

タンポポという名前はどこから来たのでしょう?

漢名の「蒲公英」の別名に「孛々丁菜」というのがあって、それは光が広がって いく様をタンポポの姿になぞらえたものだそうです。この「孛々(ほつほつ)」と 「田菜(田圃に咲く菜ということ)」合成され「たなほほ」からタンポポになっ たとする説が伝えられてます。しかし少し無理があるように思いますね。

柳田国男による説にタンポポの異名に「つづみ草(または白鼓草)」というのが あって、鼓の子供言葉のタンポポがついたのではないかとする説があります。各地の 方言にも「ターンポ」「タンタンポポ」「タンポポン」などがあり鼓の擬音から 生じたとする説です。

「つづみ草(または白鼓草)」と呼ばれるのはかなり明快な答えがありますね。タンポポの蕾(つぼみ)の形が鼓の形ににているからです。よく見てみると似てるかな(笑)

私は長いこと「田圃穂」なのではないか、と思ってました。いい線いってると思っ たんだけどなぁ(笑)ちなみに洋名のTaraxacumは「苦い草」(西洋では薬草だ もんね)という中世ラテン語という説とギリシャ語の「腹痛を直す」という意味 だとか諸説あるようでタンポポらしいといえば、らしいデスね。danderionは、 葉っぱのぎざぎざがライオンの歯のようだ、というところからきたらしいです。

しかし カントウタンポポの葉っぱはぎざぎざが優しいので歯のようには見えないでしょ うね。カントウタンポポを見かけたら聞いてあげてください。どの名前がお気に入りかな?って。


2004年1月23日

スピリットに見放されるJr

火星に有人飛行するとぶちあげたブッシュ坊やだけどスピリット(魂)に見放されたみたいだね〜。着陸前にFBI超能力捜査官に地形を調べてもらっとくべきだったかな。

土木で救うイラク

ギルガメッシュ(イラク)で日本ができることって記事に引っかかりました。エンキドゥはどうなんだろうとかって話題ではなく、イラクで日本が貢献できること、って話。

 まずマスコミの報道で気になるのは「イラクへの貢献」の部分と「同盟国への貢献」の部分を整理せずにだら〜と書いてる記事が多いってこと。TVに至ってはその二つが混沌としてしまっている。総理の答弁も野党の質問も同じ。おいおい(名探偵コナン風に)。

 「テロとの戦いを行っているアメリカ軍」への貢献と「イラク復興」への貢献はイコールじゃないだろうと思うんですよ。だから日本は「アメリカへの貢献が結果的にイラク復興につながる」という道ではなく「イラク復興がなんだか知らないけどアメリカも助かったと言ってくれる」って道筋を見えないところで考えるべきなんじゃないかな。「アメリカへの・・・」はリップサービスでいいのですよ。本質は後者であって欲しいですね。いや、そうでなければ自衛隊の派遣は賛成できない。

 ウルクの遺跡群などの文化財や遺跡を守ることも重要。京大の調査隊とかにばんばん行って欲しい。もっと日本が貢献できることはカナートの近代化じゃないかな。カナートは塩害を防ぎつつ大規模な潅漑を行えるすぐれた技術。ただ、工事方法などが近代化されていない。だから、日本の土木技術でこれらを整備してはどうだろう。ポンプで水を送る水道も大事だけど、カナートを修理するって行為は文化的理解を彼らに示すものとしてより多くのインパクトを与えるはずだと思うんだけどな。

 でも民間人が工事にいける状況じゃない。どの国よりも早く日本はイラクと民間交流を図りアメリカの鼻をあかしてやればいいと思うよ。イラクに行けないんなら留学生をたくさん招くとかね。それも東京では無くって高野山とか五箇山とか上高地とかに住まわせて日本信者にしてイラクに帰ってもらうってのはどう?東京じゃニューヨークと変わらないからね。独自性をみせなきゃ(^_^)

とどめにゴダイゴにカンダハルでのコンサートを。ガンダーラを歌ってもらおう!

2004年1月22日

気づいていない人は読もう!

岩月謙司「女は男のどこを見ているか」という本を読みました。なかなか「気づき」の本でした。なんで奥さんや恋人が不機嫌で怒っているのか?気がついていない人はぜひ一読をおすすめします。そのまま鵜呑みにしなくても参考にするだけで、2人の時間がハッピーになるかも知れません。

自分の夢が好きになるって事を否定されてきた世代に対して、あらゆる答えの中のひとつの「解」として非常にわかりやすい本だと思いました。

自分がひどい男ばかりにだまされる事にお悩みの女性にもお勧めします。

hon2.jpg
(背景は本文と全く関係有りません)

考察:秩父夜祭りはなぜ夜祭りか?

秩父夜祭りはお祭り自体が有名なので、いろいろなところで紹介されてます。しかし私の、クダラナイ疑問はとどまるところがなかったりします。

そもそも、なんで夜祭りなの?単純にそう思ったわけです。昼間は歌舞伎やったり、道具市で買い物したりですごく祭りっぽいのに!なんて屁理屈をこねていろいろ考えてみました。

よい子の答え:妙見伝説にちなんでいるから。

 確かにそうだろう。じゃあ何でお寒い12月にやんねん!七夕にでもやればええやん。って思うんですよね。12月には新年に向かっての「市」が立ちそのにぎわいに乗じて祭りにするというプロデュースはなかなかいいと思いますが。宿題:「妙見伝説と秩父夜祭りについて研究せよ」

普通の子の答え:夜にやった方が綺麗じゃん。花火も上がるし。

 そうだね。あの花火はすごいよ。羊山の上から打つからまるで真上ではじけているような迫力がある。あれは海上花火と違ってとってもデンジャラスだ。麓の家は祭りの時は避難するらしい(未確認・情報求む)でも秩父地方の花火といえば吉田の「龍勢」でしょ。あれはすごい。なんで日本帝国軍は龍勢のアイディアからミサイルを思いつかなかったんだろう。でもあれは昼間の花火だから夜とは関係ないよね?不夜城と呼ばれる屋台は確かに夜が綺麗。でも昼間も綺麗だよ。笠鉾も昼間の方が映えないか?うーん。
宿題:吉田の龍勢について調べよ

悪い子の答え:祭りのあとで何かと都合がいいから。

 ははぁ。そうか。祭りは恋のはじまりだからね。これは賛成だね。

宿題:祭りと恋のはじまりについての類型を探せ!

2004年1月21日

焚き火をひさしぶりに・・・

今日の岡山は午後からぐっと冷え込んできて、市内でも雪がちらっと舞っていました。
こんな日は、焚き火を囲んで酒でも飲みたいって気分になります。

私、実は焚き火フリークです。焚き火のできないキャンプ場にはできるだけ宿泊しない。野外(アウトドアとか言う人もいるらしいけどハイカラですね)での呑みには焚き火は必須ですよぉ。

炎を見つめていると自分の芯の部分が熱くなるのを感じます。胸が熱くなるんです。でも反対に顔がほてっているはずの頭部はすごくさめてきて「冷頭熱胸」状態になります。そこにお酒が入ります。とっても親しい友人で何でも話し合えるし、知っていると思っていた人から、意外な話が飛び出したりします。超アナログなコミュニケーションではありませんか。

なんで、そんなことを急に書き出したか。

山形に住む大学時代の親友が今年の年賀状に「今年は会いたい」と書いてきたから。いままでいちども手紙では会いたいなどと書かなかった彼がどうして?ってすごくその一言が気になっています。

もう十年ほど会っていない、電話もしない、年賀状も気がついたようにしか出さない、でも彼のことはわかるような気がする。それは彼と下宿で(焚き火はなかったけど)冷頭熱胸状態でこてんぱんに語り合ったからだろうな。今の若者はみんな下宿なんかもアパートで、共同生活なんて少なくなってるだろう。うっとうしいぐらい濃密な時間だったなぁ。

今年は彼に会いに行こうと思います。そして焚き火、もしくは囲炉裏を囲めるところで、10年分また話し込もうかな。

DSC00462.jpg
ちなみに我が愛しの下宿の建物を写真で。ここで7人ほどで共同生活していました。写真は現在の姿。だれも、もう住んでいないようです。


好きだったアニメを振り返る

いままで、文章にして総括することがなかったなぁ。好きだったアニメを昔はもっとガンガンに語ってたんだけど・・・ってことでとりあえず書き付けてみることに。特におすすめアニメコーナーじゃなく、自己満足モードでございます。

いきなりですが、印象深いのは、新造人間キャシャーン「キャシャーン無用の町」かな。<人間としての尊厳を守るための死>と<家畜と同様に扱われても不戦を貫く>事の対比などというハードな内容。子供心にドキッとしたものです。あの時感じた心の中のもやもやが今の私のベースにあるかも。以前書いたほんたうのしあわせのたとえ話に使おうかと思ったけど軽くなりそうなのでやめました(^_^;)LDボックス買っちゃったけど世の中はDVDに・・・どうするか?

 未来少年コナンはとっても好きです。ジムシーがいいですよね。あのキャラ。「食えるのか?」ってのがお気に入り。TVじゃないけど「風の名はアムネジア」も好きすき。

 イデオン。イデオンかな〜やっぱり好きなのは。なんか無茶苦茶なエネルギーが好き。イムホフ・カーシャの気の強さが好き。重機動メカが好き。全員ぶち殺してくださった富野さん、お恨み申しあげます。リタイヤする前にリング・オブ・イデオンみたいなの作ってください。お願いします!

よく考えてみるとアニメは基本的にみんな好きだな(笑)嫌いなアニメを書きだした方が早かったと今、気づいたのでこの辺でやめとこっと。最近のアニメはよくわかんないけど雪風は原作に負けてるね。注目はやっぱり「ほしのこえ」かな。次回作に期待キタイ(ほんたうはこれが言いたかっただけだったかも)

総括になってないよ・・・全く・・・

ポリアコフ・パレス・ガレージ

アルタイルからの風が
高原に 無数の季節を告げてまわる
それが秋なのか冬なのか宇宙なのか
わからないけれど

遠いかすかな残像に
軽い眩暈をおぼえる
いったいいくつの太陽が
ぐるぐると
追い越していっただろう

(ひとは明日が不確かだから、確かな昨日を懐かしむのか・・・)

どうしてだろう
星空を見上げて
いつも想うのは
あの時
森と星とのあいだで揺れた
音楽のような長い髪


白夜の夕暮れ時
遠い日の夜の虹

手は届かなくても
声ならば届くだろうか

2004年1月20日

HDDレコーダーってぐらいなら

DVDレコーダー売れてるみたいですね。電気屋さんに出かけてもカートにDVDレコーダー乗せた人が沢山いて、日本の景気回復のためにはほんとにいいことだと思いますね。

でも私は今ひとつ食指が動かない。DVDに焼いて残したい番組に巡り会わないからかな。DVカメラの編集ならMACがあるから問題ないし、使いにくそうなリモコンで編集なんてできそうにないよ。番組よりもCMの方が時代を映す史料と言うことでアーカイブする価値がありそうだね。メーカーさん、ぜひ「番組カット機能」つけて簡単にCMアーカイブできるようにしてください!!

そうそう、HDDレコーダーも同じだね。タイムシフト機能としては買いでしょう。最近はDVDとハイブリッドになってるから、ユーザーがどっちの機能を重要視しているのか知りたいですね。HDD上で編集できちゃうとRAMの優位性もあまりありませんね。

私がHDDレコーダーに一番求める機能は「16ビット以上のリニアPCMによるオーディオ録音機能」です。たくさんあるアナログレコードを録音しておいていい音で聞きたいって事。私はCDはリッピングもバックアップもしません。CDは手軽に扱えるから好きな人のCDは買って聞きます。だからCCCDなんてもってのほかですね。私のようにリッピングすらしないお客様をバカにしとりますですよ。リッピングってそもそもいい音で入ってるものを圧縮して聞いて何が楽しいのかね。コピーされたくないなら早くパッケージメディアはSACDにでも移行してしまえばいいのにって思いますよ。音楽CDが高いって言う人がいるけど音楽の価値を下げたのは我々だと言うことにも気づいて欲しいよね。まあ、音楽の内容と【等価交換】じゃないって人は【賢者の石】でも探してくれって感じ。ジャケ買いして失敗するかも知れない緊張感も必要だと思うんだけど。買ってない人にはけなす権利もないとは言わないけどね。アナログレコード聞かなくなった理由はあの「儀式的リスニングスタイル」がちょっと面倒になっただけ。手軽に昔の音源が聞きたいです。

パソコンにリニアで取り込む手もあるけど再生機としてのクオリティに問題あり。

で、今一番それに近い商品「HDR-D1000」(写真)CDとHDDレコーダーのハイブリッド機。残念ながらHDDの録音はATRACのようなのでMD音質なのが残念なんだよね。リニアPCMレコーダー機能付きのDVD+HDDが出たら即買い換えです。ついでにHD画質で録画もできれば最高。ハイビジョンは残したい映像が多いからなぁ。ブルーレイまで待っても音楽機能はないんだろうなぁ。ああ、見果てぬ夢〜。

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2004年1月19日

生命の数直線

人生が数直線だったらどうだろうか?

ゼロから始まり死の瞬間で終わる、そんな数直線でしょうか?死の瞬間が72才3ヶ月2日20時間3分34秒だと仮定するとその瞬間は「死」に属するのでしょうか?それとも「生」に属するのでしょうか?それとも両方に属するのでしょうか。

生命は死に向かって生きていくのでしょうか?それとも無限に生きようとしてたどり着けないのでしょうか?ひどく,苦しい問いです。「生きる事とはどういうことか?」を考える以前に「生きている感覚」がない存在が「死ぬことの意味」を考える?


どうしてそんなに急ぐんだろう。
生きていることの意味は,生きていることで説明すべきだ

生命はフラクタルな存在ですね。同じものを生み出し「輪廻転生」したいと子孫を生み出し続けるのだけれども、それは「似たもの:相似形」でしかありません。いつか同じものにたどり着けるのだろうと似たものを生み出し続けて行くことで、無限の種を作り出していく。決して生命は数直線上にある「期間」ではないのです。

生きていない人ほど死に対して恐怖を覚える。それは生を感じるまでの時間が限られてしまうと思うからかな。反対に、死に対して怒りを感じる人は自分の「生」に気づいた人かも知れません。もっと生きたいと思うだろうから。

私は、自分が死んでいく時、この世界が懐かしいと思いながら逝きたい。そんなふうに思っています。

そのうち南越もやられるぞ

高句麗歴史問題をその後ずっともやもやしながら考えていたわけです。

もし、高句麗が「中国の地方史」であるとしたらベトナムはどうなるんだろう?おそらく同じような事を言い出すに違いないでしょうね。「南越史は中国の地方史である」と。そもそも中国はベトナム地方を属国として扱ってきた歴史があるので、すんごくあり得る話だと思うんですよね。

 ベトナムのこの問題(高句麗問題)に対する反応も知りたいですね。

ベトナムの南半分、チャンパ王国の版図であった地方は文化的・宗教的に中国の地方とは言い難いけど、北の方はかなり中国の影響が強いので、導火線あり!とにらみます。

 まあ、そんなこと言い出したら「大理王国史」などという中国の地方史も出てきそうですが、大理の人にしてみれば「俺たちはモンゴルに屈したのであって中国に併合されたつもりはないぜ!」って言うかも知れません。台湾も海南島も「華人がはっきりと住み始めたのは近代になってから」じゃなかったかな。

 この問題には示唆される部分が多いですね。

心象素描だから直接派

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 全くの直接派です。下書きから直接です。

 書き方のスタイルとしては、思いついたときにとにかく下書きで記事を書きます。中途半端なものがどんどん下書きにたまっていくわけですが、自分で読み返したり付け足したり、2つのネタを合わせてみたりしながら書いていきます。自分の中で何となくまとまったら「公開」にします。それまでの期間は文章によってまちまち。下書きから一月以上たってもまだ公開されない文章がいくつもあります。それらを公開するときはできるだけ公開した日時に変更してアップします。

 過去の書き込みも読み直して、自分の心情が変わっていれば書き直しています。
 
 文章は書き付けてしまえば変化しない。つまり情報となります。しかし、人間である私のこころはどんどん変化していきます。過去を振り返って見たときに、今の自分が許せない部分を書き直していくのです。だから、たりーず・ふぁいるの文章は大半が未完成のままアップされ、次第に形を変えていく「有機交流電燈のひとつの青い照明」なのです。ココログは心LOGかな。

 つまりある瞬間を記録した「日記」ではなく、すべて現在の私。
 (まさに歴史とは、現在と切り離せない「現在における過去」だから)

 という具合なものを目指して、書き続けようかなと言うことでした。
 (この文章は「今すぐ公開」デス)

2004年1月18日

追伸:9年前に学んだこと

先のアーティクルへの追伸。

 あの経験で9年前に学んだこと。

 身近なところで差し出された救いを求める手は躊躇無く握り返さなければならない。
 それが、私という小さな存在の生きていく意味かも知れないから。

 救えなかったものを悼んで悲しむよりも、助け出せたものの未来を喜びたい。
 それが、死を乗り越えるということのような気がする。

2004年1月17日

神戸淡路大地震を振り返る

明け方。遠いところでかすかに異様な雰囲気がしたようで目が覚めたのでした。当時、高槻にすんでいました。布団に半身を起こして「?」と思っていると、大きな揺れがきました。ベットの真上にエアコンの室内機があったのでなんだか恐ろしく視線を外すことができませんでした。

 その時は高槻市周辺が震源地かと思いました。後から考えると何でそんなこと思ったのかわからないのだけれど、それぐらい揺れがきつかった。実家は水田を埋め立てた軟弱地盤の上に立てられた昭和の家なのですごく心配になって電話をかけました。そのときはすぐにつながって安否は確認できました。そしてなぜか神戸の友達の事が気になって電話をかけたのですがつながりませんでした。大阪にはたくさん友達がいるのですがなぜ神戸の友達に電話したのか、今でも不思議です。

 家の中は多少の落下物があるぐらいで、体感した揺れほどの被害はなかったので、しばらくぼ〜っとしていました。そしてテレビをつけて初めて事実を知りました。その後は報道で流れたとおりです。大きな余震もありました。高槻でも私の家の近所では、かなりの数のブロック塀が倒壊していました。

 結局、神戸の中心地に住む友達は会社の用意した寮に移るまでの数日間、我が家で避難生活。数日後、倒壊した友人宅まで荷物を引っ張り出しにいったりもしました。あのときの神戸は今でも脳裏に焼き付いて離れません。

 あの時まだ煙から逃げまどう人がいるというのに「東京で大地震が起こったらどうなるか?」とかシミュレーションしてみたり「湯治場の湯煙みたいだ」などとのたもうた無能な輩をメインキャスターにしている在京メディアが、すべての報道にわたっていまだに信用できないままです。イラクの報道にも脈々と同じ文法が横たわっていますね〜。東京でテロが起きたらどうなるかとか。

反面、ラジオの持つ力を再度確認したり、携帯電話の普及に加速がついたのも震災の後だったように記憶しています。この震災の時ほど、人が、人とつながっていたいと思う動物なんだと思ったことはありません。あの時の街を舞台にして「なぜ人を殺してはいけないか?」なんて議論する事はできないでしょうね。

地震の時に行方不明になっていた友人の猫は、その後家を撤去する際に隣家の床下から餓死しているのが見つかりました。おそらく地震に驚いて逃げ込んでそのまま。

人間だけでなく、いろんな物や命が失われたことを忘れないよう、そして思い出せるように。毎年、この日がやってくるのかも知れません。


 

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OMよ永遠に

E-1にOMレンズ!!
オリンパスが「E-1」に、銀塩一眼レフカメラ「OMシリーズ」用レンズを取り付けるためのアダプタを、2月下旬よりE-1ユーザーに無償配布するというニュースを聞いて思ったこと。

私はOMシステム一眼レフカメラが好きでした。

他流派(笑)の人からはシャッタースピードのリングが使いにくいとか、絞り込みボタンが使いにくいとか、いろいろ言われました。しかし、私はそんなへそ曲がりな頑固さが好きでした。初めてOM−1を手にしたときのことを忘れません。野に、山に植物の写真を撮ることが多かったのでズイコーマクロには絶対の信頼がありました。キャノンとかニコンの望遠レンズをぶら下げた旅行者を見ても一度もうらやましいと思ったことはありません。「シャッターチャンスに巡り会う性能」こそが私の求めた性能だったからです。登山やトレッキングのじゃまにならない小型で高性能なシステム。広角系でぐっと寄ってとる私の撮影スタイルにも合っていたのでしょう。

 OM−4のマルチスポット測光も気に入っています。自分が露出に迷ったとき「オートではなく機械任せ」という実にあいまいな事をやってくれるからです。Bと1/60はメカニカルシャッターになっていて、もしも電池が無くなっても撮影できます。ほんとうは全部がメカニカルシャッターのOM−3がほしかったんだけどね。いまだに後悔している部分。

 いつか買おうと思っている一眼デジカメ。でもねE−1はちょっと食指が動かない。まだだな。まだ。
だけど、OMレンズが使えるのか・・・。欲しいかも・・・。

 (ちなみに「最近の記事」の上にあるイスラミックな写真は、中国新彊ウイグル自治区カシュガル郊外。朝一番の礼拝の時間を知らせるうたをモスク上で歌うウイグル人。もちろんOM−4で撮影したものをスキャナーで読み込んでかなりサイズ縮小したものです。135m2.8・f5.6・マルチスポット測光・KRって感じです)


こんな馬、いないって(^_^;)

蒜山のとある場所(といって隠してもすぐわかりますが・・・)のかんばんです。


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なんか関節おかしくないっすか?

ことば

ほんとうに想う人よ
伝える言葉は,たった一言でいいはずなのに
不器用な私達は、いつもしゃべりすぎてしまう。
無防備に楽しそうな笑い声をあげたあとで
あなたの視線の先はどこなの?
言葉は街のつぶやきに消されて
湿っぽいビートの中で
ヘリウムのように軽く
差しだそうとしていた手のひらも
ビルの谷間の時間をつかむことがない
伝えたい本当の言葉はどこに行ったのか 死んだのか?消えたのか?
私にもわからないことが
どうしてあなたに伝わろうか?

2004年1月16日

脳と脳を直結

 銀河ブログ脳とコンピューター直結という記事を読んですこし考えたこと。

 頭蓋骨に小さなねじで電極を作り、脳波をとらえる・・・という技術自体は「すごい時代になったなぁ」という感想以上のものはないのです。しかしその先、というのがすごく気になります。脳の認識というのが「脳の部分」ではなく「体中のニューロンの発火そのもの」なんじゃないかなというのが最近の私の妄想なんですが(以前書いた言葉は外にあるとか)頭蓋骨に埋め込んだターミナルを通して取り出した信号で、もし、同じような状況の人と「ニューロンの発火を共有したら」どうなるんだろう?って。
 
 テレパシーなどと言う「精神感応」についてということでなく、他人の感じている気温や見ている色が自分の嗅いでいる臭いの認識に同時性のある影響をもたらすことになったら・・・。

 ゼンゼンシティーの市民のような「ワイヤード」でつながった共生ではなく、ワイヤレスなクオリア共生・・・。なんかすごくイヤって気持ちです。そのうち「意識共有バー」みたいのができて、パートナーを探したりする時代がきたりするかな〜。

2004/1/19 リンク追加 P2Pの究極?:Augen

2004年1月15日

アイワからHDDオーディオプレーヤー

ソニーからは出ないなぁと思っていたiPodの対抗馬がアイワからですようですね。プレスリリースによると、世界最小・最軽量のHZ-WS2000と対振動・防滴仕様のHZ-DS2000の2機種。今後の日本国内での音楽配信ビジネスの立ち上がりとどう絡んでくるのかな。アップルと比べて、国内の販売チャネルの広さがaiwaのアドバンテージかな。MDとかCDポータブル売り場で展開できるでしょうから。

 私的に気になるのはアウトドア仕様のHZ-DS2000。小さいながらしっかりしてそうな外観に惹かれますね。ユーティリティソフトウェア“Music Transfer”での音楽転送が必須というのは気になりますが、ソニーお得意のATRAC3ではなくMP3形式での転送ということが、aiwaブランドをどう区別するかという切り分けに苦労してるな・・・ってかんじがします。いっそのことNECや富士通のパソコンに“Music Transfer”をプリインストールしてもらったらどうでしょうかね。ソニーにできないことをやるんなら。

 値段的には、2Gで35,000円の市場想定価格ってのはちょっと高いような気がしますね。音楽プレーヤーはもう少し様子見しないとだめかなぁ。Hi-MDも気になるしなぁ。

2004年1月12日

車の静電気対策完了!

 冬の静電気(特に車に乗るときに「バシッ!」とか)みなさん困ってませんか?私も以前は困っていたのですが、数年前に発見した静電気除去グッズでかなり解決しました。それはCARMATE製のものなのですが、もう車3代にわたって移設して使用中です。これがなかなか強力!

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 キーホルダーとか空中放電タイプと違って車にアースを落としているので、確実に放電され、また放電時の「バシッ」が発生しません。取り付けた感じはこんな感じ。

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 車が白いのでちょっと似合いませんが、静電気の恐怖から逃れる事にはかえられません。取り付けるのに少しこつがいりますが、効能はばっちり。CARMATEさんにはぜひ再販売してほしいものです。(白いのを出してほしいだけだけど(>_<))

2004年1月11日

岡山で第4のカツ丼に出会う

岡山に転勤で着任したとき、一番衝撃を受けたのはカツ丼でした。「中華そば・カツ丼」とかかれた赤い看板にまず違和感を(道に書かれた「出会頭」と言う字にも)感じつつ、うどんの国では見かけることの無かった「中華そばカツ丼セット」800円ってのを注文したわけです。

 カツ丼といえば私の中では「卵煮込み(もしくは卵かけ)」と「みそ」「ソース」の3種類しか無かったのです。しかし、そこに現れたのが岡山のカツ丼でした。それは「デミカツ丼」。カツの上にデミグラスソースがかかっており、グリーンピースが乗っかってます。

 目の前に出されたそれは、グリーンピースを除けば色彩的に「ほぼ茶系」で、視覚的に華のないものでした。

 反論を恐れずに率直に書くならば、あまりおいしく感じませんでした。中華そばとのマッチングが「濃すぎる」のが理由のひとつです。なんだか口の中が「肉肉肉〜」って感じになってしまいかなりヘビー級なんです。しかし、岡山の人は「岡山のカツ丼美味しいやろ?」っていうので、きっとあまり美味しくない店だったのだろうと考え、その後いくつか店をまわってみました。・・・ま、これは!という店があればまた報告したいと思います。(補足:中華そばは美味しかったです。)

カツ丼はどんぶりの皇帝だと信じる私にはすべてのカツ丼が美味しくないと自分が許せない!などと思っているうちに第5のカツ丼の情報が!その名も「オムカツ丼」うまそう!どこに行けば食えるのでしょうか?カツ丼を巡る冒険はまだまだ続きそうです。

夢診断:イラクにコミケを輸出せよ?

すごく変な夢を見ました。

サマワにいるんです。私が。

遊戯王のコスプレしながら、小脇に抱えた小冊子を市場で売ってるんです。
市場には同じようなブースがいくつもあって、ごった返しています。
自衛隊らしき人が警備しているんだけど、コスプレかも知れない。そしてなにか会話が聞こえるんです。
「バビルの塔はイラク国内にあるんだよ」とか、ここにはとても書けない会話とか。で、みんな楽しそうにしているんですね。すごく。

 ってところで「あんなに一緒だったのに〜」って着うたで目が覚めました。
「なんだったんだ?」と思いましたが、一生懸命、夢診断してみます。

・・・そっか、これはイラクへの民間交流でコミケを輸出せよという啓示だったのか!「発言の自由」を実現する「方法」と「場」そして「雇用の創出」を兼ね備えたコミケを!

 でもさ、イスラム教は偶像崇拝を禁じてるから「コミック」はやばいよねぇ。どうなんだろ?
 まあ夢の中だからそんなこと判断する能力はなかったんだけどね。
 まじめに自分の「生」を見つめている、イラクの人々にはふざけているように見えるだろうな。

ということでこの夢の案は「没」です。コミケ関係のサイトをまわりすぎたことを反省。

2004年1月10日

中国と新羅とローマン・グラス

1996年に放映されたNHK人間大学の講義に「ガラスと文化」(講師:由水常雄)というのがあって、面白く見たのを思い出しました。そのなかでも新羅のローマン・グラスについての講義が非常に印象に残っています。4世紀〜7世紀中頃の新羅の古墳には決まってローマン・グラスが出土するが、それに対して高句麗や百済の古墳とされているものからは一点も発見されていないというものです。

 講義の中では新羅王国の「中国文化との非共和性」についていろいろと述べられました。原典を当たったわけではないので孫引きになりますが、新羅と中国との国交関係も非常に希薄であったようです。もっとも驚いたのは暦。新羅は干支歴ではなくローマ歴が使われていたということ。歴史とともに国家がその権威を示すものは「暦」です。その暦が、当時東アジアの中心文化であった「中華」と違うものであるということは、新羅の異質性を明らかにしているように思います。

 新羅が、非中華を貫くことで、中国の文化的侵略から自国を防衛しようとしていたのかどうかはわかりません。しかし、異質な国家「新羅」が長く続いた国家であった事を考えると、朝鮮半島が歴史上統一された地域であったという認識は「歴史的には科学的でない」というひとつの証拠になるでしょう。(
もちろん「半島」という地理的要因からであればひとつの「地域」であるとはいえます。)

注:個人的に「歴史が長いことが素晴らしいことで国家にとって大切なこと」とは思わない価値観で語っておりますので、そのあたりはご理解ください。決して朝鮮を卑下しているということではありませんので。誤解を恐れずに言い放っております。

 中国に対する朝貢というのも、実は認識を新たにする部分もあります。中国に朝貢するということはその属国になるという意味ではないということです。むしろ中国とその周辺の朝貢国家の間には「権威のギブ・アンド・テイク」とでも言いたくなる関係があったと考えています。中国に朝貢することで、諸国の王朝は権威を授かったというのは学校でも習うことですが、むしろ中国にとって重要だったのは「朝貢されることで国内に対して皇帝の威信を示す」ことだったと思われます(貢いだものよりも大量に金銀宝石を持ち帰る朝貢国家も多かったのです。)そして、その関係は「軍事的圧力」以上の外交均衡を当時生み出していたと考えています。現代よりもずっと支配者の権威が神に近かった頃の事ですから、人心を掌握するのには軍事よりも効果があったのではないでしょうか。

 現代中国も実は同じような構造を持っています。そう考えながら中国関係のニュースを読むと、不思議だった部分が、意外とあっさり理解できるかも知れませんよ。できなくてもごめんなさい(笑)

ほんたうのしあわせ

なぜ人を殺してはいけないかを読んでいろんな事を思いおこしました。

 藤原新也がウェブサイトに2001.11.6にアップしたエッセイ(いまは単行本「空から恥が降る」に収録されサイトからは消えている)「阿修羅世界のモラル」に書かれていたエピソード。印パ戦争の折に難民の主婦を強姦したという疑いをかけられたヒンドゥ教徒が、モスリムの熱狂した群衆に惨殺(引き回しのうえ八つ裂き・・・)されようとしていた。そのときモスリムの将校が群衆を制しながらそのヒンドゥ教徒の頭を38口径の銃で打ち抜いた、というもの。

目前に残虐きわまりない拷問を受けて殺されようとしている人がいるときどうするのか?

1、彼を38口径で安楽死させること(人を殺す=罪を犯す)
2,「人を殺してはいけない」というモラルを守るために放置しておく、
3,身代わりとして自分の命を投げ出す。

という3つの選択肢を指し示した後コラムの最後をこう締めくくっています。

<「戦争や人殺しをしてはいけない」というのは、すぐれて宗教的発言である。そしてその言葉が真に生きるのは君が修羅場において宗教者としての立ち振る舞いができるかどうかにかかるだろう。
 私個人は38口径でヒンドゥ教徒の頭を打ち抜くことはできると思う。
 しかし第三の選択をとる自信はない。>

要約が誤解を生むといけないので、上記の本を読んでもらえるとありがたいのですが、とにかくこの問題についてひとつの考えを示していると思います。上のコラムの例示は非常に偏ったケースだと言われるかも知れませんが、おそらく戦場では希有な例では無いのではないでしょうか。

 もうひとつ、宮沢賢治の寓話のいくつか。ひとにとって「ほんたうのしあわせ」は何なのだろうってこと。それは「その生を全うすること」かなと思ったりもします。賢治自身は藤原氏のしめした3番目の選択を迷い無くとるだろうと思えますが、それはまさに宗教的な発想かも知れません。以前にも少し書きましたが、直接殺してはいなくても間接的に人を殺していて、自分が生きることは多くの死の上に有るかも知れないという感覚を持てるかどうか?(自分が殺してはいなくても社会が殺しているかも知れない。痛みのある世界に生きていると言うこと)

 人を殺すということは「他人の生を全うする権利を奪うことである」としたならば「自分が生きているという肉体感覚」がない少年には「なぜかわからない」という答えが妥当かも知れません。「なぜ人は生きていかなければならないのか?」という問題を同時に解かないとだめかも知れませんね。

 生きていくこと、生きると言うことの「ほんたうのしあわせ」を、肉体感覚、重みを持って考えていけば、「殺してはいけない」の意味がおぼろに見えるかも知れないなぁ、なんて思いました。

結局結論は出せないのですけどね。


 

2004年1月 9日

高句麗の歴史は誰のもの?

「高句麗時代の遺物搬出の朝鮮族死刑に」という記事を読んでいたたまれない気持ちでいます。この問題についての詳細な議論はそのうちゆっくりとしたいです。しかし、なんでこんな事になるんだ?という事は今叫んでおかないとさめてしまいそうなので書き込むことにしました。

 1、「民族」という近代に発生した「認識」を過去に適応していく事に関しての問題

 高句麗が「中華文化圏」のいち周辺国家であった事は確かだが、その歴史を「中国の地方史」とすることには反対です。歴史というのはフラクタルな構造を持つのではないだろうか?と思うので、「部分と全体」という意味で高句麗の歴史をとらえることはできても「中心と周辺」というとらえ方は疑問符だらけです。「支配の道具」として歴史を利用する危険性を、それこそ歴史に学ぶべきです。そもそも、中国だってずっと漢民族の国家ではなかったわけです。中国を支配してきたのは皇帝であって民族ではない。そもそも近代の領域国家という西欧的概念を中華的(もしくはヌガラ的)国家に当てはめるのは非常に無理がある。なんか支離滅裂になってしまったけど、要は「民族」が「歴史」を担っていたという「概念」は捨て去るべきだと主張します。

 2、「国家」に帰属する「歴史観」はやだ

 歴史を知れば知るほど、国境の意味がわかってくる。その歴史的な意味のなさに。国境がまるで地表に引かれた線のように思っていないかって。歴史というものは部分と全体が影響しあって構成されてきたもので「国家」という立場から見た歴史も、全体の中の部分に過ぎないという認識を強く持っていなければなりません。まるで今教わっている「歴史」が物理の法則のように唯一の原理であるかのように思いこむのは危険です。歴史はエピソードをつづった物語に過ぎない。そこから意味性を導き出すことが重要なのです。現在のための歴史ではなく、歴史あっての現在なのだと早く気づいてほしい。国家が歴史を利用するとき、そこには悪意が見え隠れします。「歴史」が政治において一番効果的に利用できるのは外交ではなく国内の統治に対してです。そういう意味で歴史を声高に叫ぶ国家の内情を考えることもできますね。外交に使えば一番大きな火種のひとつになります(もう一つは宗教)

 3、歴史を持たない国家の強さ

 つまり、アメリカの事です。歴史を下敷きとする既得権益としての国家に彼らは興味がない。現実の姿、未来の姿を追い求めるところにアメリカの強さを感じます。もちろんわがままや横柄さも感じます。しかし、歴史を持たない事による前向きなエネルギーの使い方を、もう少し考えてもいいかも知れません。。国家から歴史を切り離してそれぞれに考えられないか。日本の教育は「国家」というものの概念を「歴史」の授業でだけ教えていないか?って考えるとき「今の日本国家」を歴史じゃなく現実で学ぶことをもっと進めてはどうかな?なんて思ったりします。

 1・2・3などと生意気に箇条書きにしたわけですが、中国は歴史を振りかざして周辺国にいろんな事をいってきますが、現実の今の姿をしっかり実体化させてそれに対抗しなければなりません。でもそれは「民族」とか「国家」といったイデオロギーでなく。答えはまだ持ってませんがじっくり考えていきたいと思っています。

 朝鮮民族の起源を考える(極東ブログ)はぜひ参照ください。共感する部分が多いです。

 

ようやく目的の場所にたどり着きそうなMDフォーマット

今日、SONYのプレスリリースで「Hi-MD規格」が発表されましたね。MDのフォーマットとしては再生専用の音楽MDと今、普及している録音MD。予定されていたのではROMとRAMの領域がハイブリッドになったものもあったみたい。あとは懐かしい(?)MD-DATA。これは「2」っていう拡張規格もありましたね。まあ、SONYが考えて消えていったフォーマットの数を数えるのはアステロイドベルトの星の数を数えるようなものなので無意味でしょう。そんなものもあったなと言う程度。

 歴史をひもとけばMDはもともとコンピューター用のメディアとしても使える!事を指向していたように思います。だから、ずいぶん遠回りして元の場所に戻ってきたのだな、って感想。

 ドライブもメディアも小型だから「MDに動画を撮るビデオカメラ」とか「モバイルパソコン内蔵ドライブ」とかといった「ありきたり」の使い道以上の商品提案がされればいいななんて思います。

 音楽用のメディアとして考えた場合「リニアPCMでの記録ができる」ってのはすんごい魅力ですね。CCCDなんかもパソコンを介さずにMDにバックアップできる。しかもCDと同等の16bit、44.1kHzサンプリング、ビットレート1.44Mbpsを採用していると言うことなので音質も落とさずにすむね。そもそもMDの音が悪いからCD-Rにバックアップしようと思うんだよね。そうそう、どうせならSA-CDと同じ音質で10分録音できるモードをつけてもらえればもっと嬉しいのに。アナログから録音するのにいいでしょ。

パソコン立ち上げてCD−Rに焼くよりもこっちの方がラクチンかも知れないな。そしてメディアの汎用性を高めつつ(誰もがハッピーになれる程度の)オープンな著作権保護。なかなかバランスのいい規格のように思うのでちょっと応援モード。

汎用主義から目的主義へ

2004年1月 7日

ジルベスターの星から

昨年の火星大接近。そして、スピリット君が火星にエアバッグで着陸するという荒技を披露!ということで俄然、私の宇宙熱も再燃中なんです。ああ、天体望遠鏡ほしい〜。最近はもっぱら鹿島宇宙通信センターからリンクされたザ・ナイン・プラネッツ(ミラーサイト)を読んでは太陽系に思いをはせています。

前回着陸に成功したマーズパスファインダーの写真を見て「人工物がたくさん写ってる!」などと超な感性のサイトを以前はたくさん見ましたが、今回もおそらく大量発生の予感(火星にゾウのレリーフがっとか結構笑える解釈もあったなぁ)がします。まあ人それぞれのお楽しみですね。火星戦士系でも募集してみようかしらん(爆)

そんなことはさておいて、今日の朝、起きがけに「ジルベスターの星から」の夢を見ました。なんか懐かしい気持ちでいっぱいになりましたね。なんでそんな夢を見たのかなぁ。新しく生まれてくる、子供の寿命が短く限られている星ジルベスター。そんな星に向かう宇宙船の中に清酒「宇宙酔」があったような気がするのは「何かよけいなロマンが」夢に混入したからに違い有りません。

ピュアだったあのころに戻りたいです。ハイ。

2004年1月 5日

ロードスターとお別れ・・・

自家用車を乗り換えることにしました。とっても好きだったMAZDAロードスターとも明日でお別れです。今日はいつもだと800円の洗車ですが、2000円の洗車で最後にとっても綺麗にしました。

MYロードスター君の好きだったところは

 1、オレンジマイカの派手な色
 2、加速は気持ちいいが最高速は遅い。
 3、高速道路ではノイズがうるさくて助手席と話すのが大変
 4、コーナーは面白いが直進性が悪く高速道路では怖い思いも・・・
 5、狭い!でもオープンにするとどんな車より広い!
 6、荷物があまり積めないので、買い物がセーブできる
 7、マニュアルミッションなので渋滞で足が死ぬ

など、不便なところが好き!みたいな変態チックな「愛」だったかも知れません。でも数多くのロードスターオーナーは私と同じ思いをどこか抱いているような気がします(思いこみです)

 昨日、ロードスターにつけていた後付け装備をおっ外しました。CDプレーヤー・MDチェンジャー・インダッシュモニター・ナビ・アンプ・盗難防止器・マニュアル車対応のエンジンスターター・静電気除去装置(こいつ、今は手に入らないけど最強です)、スピーカーなどなど。コード類まで含めると重量が25キロはありました。おーい、ライトウエイトスポーツの車を重くしてどうすんねん!って自分でつっこんでしまいました。

明日からは新しい車で出勤です。今度は日産のキューブっていう、ロードスターとは正反対の性格の車になりますが、ラクチンなキューブ君ではラクチンな分、もっと遠くまで出かけてやろうと思っています。

ロードスター君4年間ご苦労様でした。次のオーナーにもかわいがってもらえたらいいね!

目前にあるドアをノックし続けるということ

コミュニケーションってものについて、blogを拾い読みしながら考えてみました。確かにブロガーの壁って存在していて、書き込みが保守的になったりってのはありますね。

でも、それって「誰が聞いてるからわかんないから、言動には気をつけなさい」っていう「飲み屋でのうわさ話合戦への注意」みたいなレベルのようにも思えます。雑踏に立って大声で叫ぶにには大きな勇気がいりますが、飲み屋でとなりの見も知らぬおっさんと語り合う気持ちで書き込んだらどうだろうかなんて。誰に向かって書こうが、どんなスタンスの発言だろうが「そこにあなたがいる」って事が私にとっては重要なんです。逆に、私はここにいるんだって、そういう主張の仕方なんて自由じゃないかってね。

 「誰に聞かれても差し障りのない」事なんて意外に無いように思います。むしろ「意志を持って発言すること」って事に重要な意味があるんではないかな。いちばん困るのは「うかつ」に書いたことに対する反応に「うかつ」であったと素直になれないこと。たくさん書くって事は、たくさん聞く(読む)につながってほしいなって個人的に思うんです。

 私にとってのblogってなにか?って問われれば「新しい出会いと対話を求めて、目前のドアをノックし続けること」かな。たくさんのドアがドバーっと並んでいるんだけどその向こうはわからない。わかっているのは自分自身だけ。だから、その向こうをのぞきたくってノックをし続ける。(blogにはTBっていう強くノックする機能があるから、そこに惹かれますね。)

 とりあえずまたノックしとこっと(^^)

 

2004年1月 4日

路面電車のある町に住んで

転勤というもので、いろんな町に住んだり、仕事へ出かけたりするここ数年です。しかし、近畿圏を突破して西に行ってからというもの「路面電車」の町と関わりが深いなぁ。

四国で仕事していたときは高松に住んでいた(高松に行く前は路面電車がある町と思っていたけど「コトデン」は路面電車ではありませんでした。なんで路面電車と思いこんでいたのか?きっと志度線のノンビリさのせいかな。)のですが、高知に出張に行くことが多く、毎週のように高知市内を走る土佐電鉄に「レールウェイサポーター魂」をときめかせておりました。高知の路面電車はモーター音が大きいように感じたんだけどやはり車両が古いからかな。(最近新型がでましたね。ハートラム君かわいい!)

その次に、住んだのは広島。ここはもう説明の必要のない路面電車都市ですね。広電すんばらしい。全線乗る前にまたもや転勤になったのが残念ですが、出張で行く機会があるのでそのときは必ず乗りますね。最新のグリーンムーバー君がお気に入りです。紙屋町界隈で市電のすれ違う様を見ていると、鉄道模型でもまたやろうかしらんと思ってしまうほど童心に帰ります。

そして、今は岡山に住んでいます。路面電車がちゃんとある町ですね〜。岡山電気軌道は先の2つよりはかなり路線が短いですが最新式のMOMOはなかなかかっこいいです。JR九州の特急をデザインした方の手によるものだそうで、岡山はかなりの車社会だけどがんばれ!って応援してます。

で、実は私の実家は函館なんです。ここも市電の町。港をバックにゴトゴトと走る函館市電。市電のある風景NO1!に推薦しますね。函館の市電は坂を走る部分も多くなかなか町並みを楽しんで乗れるので一番のお気に入りです。(札幌の市電も大好きなんだけどね。冬はささら電車のある風景ね。)

ここまできてふと思いました。次の転勤は鹿児島かも知れない・・・。大阪に戻りたいのに〜

2004年1月 2日

初詣の出雲大社で

初詣、車をかっ飛ばして出雲大社へ行ってきました。大きな有料駐車場が工事中で使えないため(でもないけど)大渋滞で島根ワイナリーから弥山の駐車場までの2キロほどを2時間もかかりました。いやぁ、初めて出雲大社に行ったんですが、完全になめてましたね。地元の知り合いもいたのでよく聞いときゃよかった〜。反省しましたごめんなさい。

で、出雲大社ですが・・・想像よりも小さく感じました。もっと巨大かと勝手に十数年想像をふくらましていたので。なんでそんな想像になったかというと「古代の巨大柱出土!」とかやってたからかな。うーむ。過大な想像はいけません。でも、鳥居をくぐって神域に入ったとたんに雰囲気が変わって、とっても神秘的な感じがしました。初詣の人で境内はごった返しているのに、凛とした雰囲気。さすがです。

 そんななか一番気に入ったのは「巨大しめなわ」です。うーん、なんとなく「ハルキゲニア」みたいでかわいいですよね!

shimenawa.jpg

似てないって?うん。それでもいい。瞬間そう感じただけだから。でも、初詣、神聖な場所で「お祈りしようっ」て時にこんなくだらないこと考える自分を戒めたいと思います。

今年もいい年でありますようにお祈りして、破魔矢とお札、お守りをいただいて帰りました。途中、道の駅(宍道湖のところ)で足湯したかったけど雨でだめでした。残念。

追伸:たまには役立つサイト紹介。「玄松子の記憶」と言うサイトが神社関係すごいですね。出雲大社で検索しててみつけたNASUKA's Memoさんのブログに紹介されてました。いやはやなるほどすごく参考になりました。

2004年1月 1日

新年だから2003年を振りかえる

たりーず・ふぁいるにスクラップされる2003年はどんな年だったか。

個人的にはいわゆる「イラク問題」ってのが関心事のひとつだった。藤原新也の「アメリカ」に書かれていた印象(の一部)がそのままこの問題に関わっているように感じたし「東京漂流」で指摘されていた日本人の未来が、そのまま今の「自衛隊派遣問題」に関するマスコミの報道姿勢に重なっていて、実になんだかなぁ状態。できることならばそれらはすべて裏切ってほしかった事なのに。

 日本人がテロを受ける可能性とか対策なんて遙か昔「ペルー日本大使館占領事件」でもっと深く議論しておくべきだったのだ。あの事件は何だったのかと。日本人はほんとに「日本国」という肉体感覚を忘れてしまっている。これは個人が肉体感覚を忘れてしまっている事と「自己相似性」を指摘したい。

 日本国という肉体感覚を持て!というのは産経抄などでよく書かれている「愛国心」とはちがう。2人の外交官が殺されたときに感じなければならなかったことだ。それはもちろん命が失われたことに対する哀悼の思いであるのは当然だが、じゃあその次は?「戦争は人が死ぬ・危険だ・日本は関わってはいけない・誰が責任をとるんだ・・・」といった事ではいけないんじゃないかと思う。(もちろん、それぞれの立場でそれぞれの主張は正しくもあり空しくもある。)

 自分たちが住んでいる日本国という国が「痛みのある世界」に存在していると言うこと。

それを感じることが重要だったんじゃないかと思う。たとえばBSEで話題になっている牛のために使われてる飼料の穀物生産を人間用の穀物生産に振り替えたらどれだけの人の食料がまかなえるんだろう?別にそれをしろって訳じゃなくって、自分たちが牛肉を食べるって事が、もしかしたら他人の食料を奪っているかも知れないって「知っていること」が肉体感覚だと思うし、現実は「痛みのある世界なんだ」と認識しておくことなんだと思う。

 想像力の羽をもう少し広げて普段当たり前のことが本当に当たり前なのかどうか、この正月休みの間に少し考えてみるってのも、何十回迎える正月の中で一回ぐらいあってもいいかな。

 2004年はそんな想いも胸に抱きながら、自分の生活を守るための戦いもしなければね。みんながんばって生きていこう!!

歴史系トラックバックしてね

せっかく歴史フォーラムなんてものをやってるので、歴史関連のココログ作ってる皆さん、ここにトラックバックくださいませ。検索でチェックして面白いものは紹介しようと思うんだけど、もっと積極的に読んでくれってTBしてくれるともっと嬉しかったりするので。実験的にやってみるので大きな期待はせずにご協力くだされば幸いです(^o^)

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