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2003年12月28日

歴史はエピソード記憶でいいのか?

昨日スルメを見てイカがわかるか!の事を書いたんだけど、そっからちょっと気になりだした事。

それは「歴史」ははたしてエピソード記憶なのだろうか?ってこと。歴史がどういった性質を持つのかなんて事は歴史フォーラムで相当過去に繰り返し議論されてきた。だから、いまさらここで展開する気持ちはないんだけど。でも、過去に釈然としなかったことが<「エピソード記憶」から「意味記憶」への編集課程が脳にはある>というところからなんかクリアーになった様な気がする。

たとえば「戦争」と一言で言ったときに「エピソード」と「意味」をきちんと区別できずにいるのはもしかすると「歴史」というものの暗黒面なのかも知れない。口伝が記憶を伝える方法だった時代には、時を経るごとに「エピソード」は意味化されて伝えられてきた。歴史は意味として教訓化され浸透してきたのだ。ところがどうだろう、少なくとも日本では歴史・地理などは暗記ものとして「記憶力を競う」代表になってしまっている。エピソードが意味するものをこそ教えるべきなのに!!

 いまだにヨーロッパ中心史観に縛られた表現が新聞やテレビで数多く見受けられるけど「そろそろやめようよ」って思うよね。個人がしっかり歴史を意味化して考えておかなければ、上手に「自分に都合のいい歴史の意味化を利用した国家や独裁者」によって歴史が民衆を偏向に導くツールとされてしまう。そのことの重要性を今、考える重要な時期なんじゃないかって気がしています。それは「人を殺してはいけない」などという事ではなく、事実を正面からとらえた解決策を探すために。

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