無料ブログはココログ

« 秩父夜祭り | トップページ | MyblogList »

2003年12月27日

感情と意志と不倫

恋愛と愛と恋のこと(3)なわけです。

恋ってのは「感情」って書いたんだけど、それは「すき」「きらい」という様な感情だけでなく「かわいい」とか「きれい」という感情にも関連しているかも知れないって思うわけで、それは辞書的な意味にもそう書かれていますね。

 感情だから何歳になっても、たとえば結婚したって「恋」を感じることは人間として普通のことだと思います。そういう感情に男女間の差も年齢の差も無いんじゃないかな。きっと「恋」って感情が無くなることはないんだと思う。「恋心無限の法則」かね。

 じゃあ愛は?って事になるとそれは当然「恋」という感情が引き起こす「意志」なんだよね。「恋」という段階を経なくても「愛」は存在できるから、双方の間には絶対的な関係はない。「愛そう!」という強い意志だけが、結局それを継続するエネルギーになるのであるわけさ。恋は愛という意志を生み出すきっかけにはなっても、揺らいでしまう感情に愛を継続するだけの力はない。揺らぎが有ればそれが愛という意志の減衰につながってしまう。意志が大事なんだ。結婚したから自動的に愛されると思ってる人、愛は無限だと思っている理想主義的なおっさん(とは限らないが)は結局愛が減衰していく・・・。
 
 「不倫が許せるか許せないか?」って議論は、もともとそのお題目の立て方がおかしいとおもうよ。人を愛すること、人に恋する気持ちはいつだって存在するんだから。じゃあどんな題を立てるか。そうだなぁたりぽんなら「夫婦間における倫とは何か」だろうね。まず倫に反することを議論するには「倫」とはなにか?という基準問題を話し合うべきでしょう。「どこまでなら不倫じゃないのか?」なんて下世話なワイドショー的な議論ではなく、きっちりと「倫」をたて、それを守れないということはどういう事なのかを明確にしていかなければね。そうしないと不幸な思いこみで傷つく人が増えるだけだよね。

 恋する気持ちを封じられた人間は活きが悪くなるし、愛する意志だって減衰するよ。不倫を奨励する訳じゃないよ。お互いの愛の形を「世間体」とか「世論調査的倫理観」からではなくって、お互いにお互いのことを「どのように愛していくのか?」という「意志」ついて、この年末、こたつでミカンでも剥きながら、その愛のきっかけとなった「恋」の思い出とともに語り合ってはいかがでしょうか?

 

« 秩父夜祭り | トップページ | MyblogList »

心と体」カテゴリの記事

恋愛」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/6047/53186

この記事へのトラックバック一覧です: 感情と意志と不倫:

« 秩父夜祭り | トップページ | MyblogList »